スカラ座の再演「ばらの騎士」最終日である。前夜には新制作「ラインの黄金」初日があったので、ドイツからも沢山の人が出かけている様である。
その前に最後から二回目の10月25日公演の独語の評がオックスを歌ったグロイスベェック氏によってリンクが張られていた。余程いいことが書いてあるのだろうと思って読むとその通りだった。キリル・ペトレンコと並べてその第一人者ぶりが紹介されている。
それによるとニーダーオーストライヒからのバリトンは正統的であり、立派で素晴らしく、無茶苦茶いいと評される。長い息で深いCが劇場中に長く響き渡ると書かれると、彼が地下駐車場でまさにその音を隣で試て出しているのを思い出して仕舞う。初日の隣のおばさんにもそれを伝えると笑っていた。
笑うのはそれだけでなく、この筆者は、先ずは写真でも紹介した世界一立派な商店街アーケードからボックス席に居座る物見雄山の人々を揶揄しながら、私達と同じように天井桟敷へと通されると、エクスクルシーヴだと書く。私もその入り口には結界があって、いちいち外して招き入れてくれるので、同じことを会場の娘さんに言った。初めは分からなかったのだが、休憩時にもそれがあったので、天井桟敷連中が下階に行かないようにしているのが分かり、書き手は行き場を失ったのだろう最上階のロビーが素晴らしいと全く同じ挙動をしているのが分かった。
そしてペトレンコ登場には階下ではざわざわしていてもやはり天井桟敷にはファン層がいるようでと報告して、その雰囲気で楽団が力強く弾み、幕の終わり毎にしかるべく更に大きな酔いしれた喝采になったと伝える。通常の大編成のシュトラウスの編成乍息をのむような羽根の生えた軽やかさと活き活きとした奈落からの音響で魅了する。チェレスタのアコードは劇場の場所に散らしていて、甘いシュトラウスの響きのご褒美で耳を擽ったとある。
この書き手が肝心な音楽をあまり聴いていないことは、オタマジャクシ毎に感情を正確に伝える素晴らしいマルシャリンの一幕の最後には言及しても三幕には言及していないことで認識される。然し、ゾフィーの歌に関してはその歌声と、その台本以上の意味合いを大勝利と評価している。
そして、このヴェルディの殿堂においてのシュトラウスはヴィーンにおいての「テューランドット」のようなものでと、その位置づけと同じく主要レパートリーではないのかと、この「ばらの騎士」が世界の頂点で鳴り響いたとしている。見出しはその通り「ペトレンコとグロイスベェックが「ばらの騎士」クローンをスカラ座に持ち込んだ」である。
その一方では、演出の手直しなどからヴィーンらしさがなくなっていてと、正しくこの演出の核心をペトレンコ指揮でとり直したことをよく理解していないようである。こうした節々に書き手のその認識の程度が垣間見える。
さて前夜のそれとは打って変わって、再演の最終日を見届けた評論家諸氏のその反響を待ちたいとは思うのである。価値のある為になるような評が出るのを楽しみにしている。
参照:
Kirill Petrenko und Günther Groissböck bringen die goldene Rosenkavalier-Krone auch in die Scala, Andreas Schmidt, Klassik-begeistert vom 27. Oktober 2024
四半世紀を越える感興 2024-10-28 | 雑感
持ち交わす共感のありか 2024-10-14 | アウトドーア・環境
その前に最後から二回目の10月25日公演の独語の評がオックスを歌ったグロイスベェック氏によってリンクが張られていた。余程いいことが書いてあるのだろうと思って読むとその通りだった。キリル・ペトレンコと並べてその第一人者ぶりが紹介されている。
それによるとニーダーオーストライヒからのバリトンは正統的であり、立派で素晴らしく、無茶苦茶いいと評される。長い息で深いCが劇場中に長く響き渡ると書かれると、彼が地下駐車場でまさにその音を隣で試て出しているのを思い出して仕舞う。初日の隣のおばさんにもそれを伝えると笑っていた。
笑うのはそれだけでなく、この筆者は、先ずは写真でも紹介した世界一立派な商店街アーケードからボックス席に居座る物見雄山の人々を揶揄しながら、私達と同じように天井桟敷へと通されると、エクスクルシーヴだと書く。私もその入り口には結界があって、いちいち外して招き入れてくれるので、同じことを会場の娘さんに言った。初めは分からなかったのだが、休憩時にもそれがあったので、天井桟敷連中が下階に行かないようにしているのが分かり、書き手は行き場を失ったのだろう最上階のロビーが素晴らしいと全く同じ挙動をしているのが分かった。
そしてペトレンコ登場には階下ではざわざわしていてもやはり天井桟敷にはファン層がいるようでと報告して、その雰囲気で楽団が力強く弾み、幕の終わり毎にしかるべく更に大きな酔いしれた喝采になったと伝える。通常の大編成のシュトラウスの編成乍息をのむような羽根の生えた軽やかさと活き活きとした奈落からの音響で魅了する。チェレスタのアコードは劇場の場所に散らしていて、甘いシュトラウスの響きのご褒美で耳を擽ったとある。
この書き手が肝心な音楽をあまり聴いていないことは、オタマジャクシ毎に感情を正確に伝える素晴らしいマルシャリンの一幕の最後には言及しても三幕には言及していないことで認識される。然し、ゾフィーの歌に関してはその歌声と、その台本以上の意味合いを大勝利と評価している。
そして、このヴェルディの殿堂においてのシュトラウスはヴィーンにおいての「テューランドット」のようなものでと、その位置づけと同じく主要レパートリーではないのかと、この「ばらの騎士」が世界の頂点で鳴り響いたとしている。見出しはその通り「ペトレンコとグロイスベェックが「ばらの騎士」クローンをスカラ座に持ち込んだ」である。
その一方では、演出の手直しなどからヴィーンらしさがなくなっていてと、正しくこの演出の核心をペトレンコ指揮でとり直したことをよく理解していないようである。こうした節々に書き手のその認識の程度が垣間見える。
さて前夜のそれとは打って変わって、再演の最終日を見届けた評論家諸氏のその反響を待ちたいとは思うのである。価値のある為になるような評が出るのを楽しみにしている。
参照:
Kirill Petrenko und Günther Groissböck bringen die goldene Rosenkavalier-Krone auch in die Scala, Andreas Schmidt, Klassik-begeistert vom 27. Oktober 2024
四半世紀を越える感興 2024-10-28 | 雑感
持ち交わす共感のありか 2024-10-14 | アウトドーア・環境