Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

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誠心誠意に演奏する

2024-11-30 | マスメディア批評
ベルリナーフィルハーモニカーがシカゴに来るとなると皆がメモ片手となる。火曜日の聴衆の中には多くのシカゴ交響楽団のメムバーが楽譜を手に混じる。同地でのメインイヴェントのオペラ公演などよりも注目を集める。

ブルックナーの演奏は様々な、どこに山谷を持ってくるかが決め手で、ペトレンコの場合は何処で落とすかで、ペトレンコの場合はマーラーでと同じように決して独白的ではなく、ディスカッションなのだと書く。これはブルックナーの交響曲において、ピチカートが戻ってくるときの扱い方に表れるということらしい。

つまり、ベルリナーフィルハーモニカーのその精妙な演奏は周知として、チェロの最初の歌の微妙さは、通路を挟んだ隣人の息が聞こえるような演奏で、そのように繰り返されてピアニッシモとなればドールのそれとが囁きでしかないと改めて驚愕している。大げさではなく、そしてそれらの模様を奏者が詩の一節を歌うようなものとしている。

ここは他の批評にもあった一楽章導入出だしの扱い方があったが、恐らく他のボストンの聴者が書き込んでいた様に、フランクフルトからも繰り返すことで更に精妙になると共に、奏者自体が全身全霊で同じイメージを持って音が出されていることが分かる。

特に二楽章での次から次へと沖の波を越えてのサーフィンでの残照の様なものを記しているのは、正しく私が時の芸術としたものであり、その発想自体は動機のポリリズム的な扱い方に端を発するだろう。

ここで一昨年にシカゴ交響楽団でブルックナーを得意としているとされるティーレマン指揮の八番交響曲との比較が為される。それは多かれ少なかれ独白的であり、それが強いられたとするのは、曲は異なっても同様に終楽章で回帰する第九交響曲の形式をとっていることからの比較としている。この点に関してはこのブルックナーの交響曲を十八番としていたドレスデンのシュターツカペレでの演奏で二楽章の浪漫的な歌い込みだけに賭けていて、その方向感が分からない主観的なそれを批評しているので、正しくそれは浪漫的独白としてもよいだろう。

そのスケルツォの早いテムポではまるでマーラーの様なグロテスクさでティムパニーとブラスが吠えて、バランスも昔のフィルハーモニカーにあった様に最終的に崩れたりしたが、とても興味深かったとしている。

然し他では見られないぐらい管弦楽団は指揮を見るのと同じぐらい他のきかっけに気を配っていて、ペトレンコは抑えるのではなくて、腕を脇に付けて微笑むとある。正しく特にスカラ座デビュー後に変わったと指摘する「抜き」であって、指揮の名人域に入ってきている。

それ以前の公演地でも最小限の動きで指揮と言及されていて、明らかに二年前の怪我で椅子に座っての指揮のその秋の合衆国初公演の時とは大きく異なっていることに気が付かれた様である。

そして、11月初めとされるペトレンコの言葉、「この交響曲を誠心誠意に演奏できるようになる様に」が引用されている。(続く



参照:
Review: Berlin Philharmonic makes another sublime stand at Symphony Center, Hannah Edgar, Chicago Tribune of Nov. 27, 2024
歴史的交響楽ホールの実践 2024-11-29 | 音
見事なシカゴの音楽会批評 2022-11-20 | マスメディア批評
「大指揮者」の十八番演奏 2014-03-18 | 音
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