ロキソニンなどの服用を止めた、土曜日からである。日曜日は気温が上がったこともあってベットで熱っぽく感じた。なかなか体温調整が難しく、腰痛もあってまだおかしい。それでも食事も十分摂れているので、上手く行けば月曜日には一週間ぶりに走れるかと思う。コロナ期間もこれ程開けたことはないので明らかに二回のコロナ感染よりも重篤だった。
インフルエンザにどこで罹ったかというとやはりアルテオパーだと思う。12日に出かけて、17日に熱が出ているので潜伏期間としては正しいか?コロナ初期にもそこでうつされているので会場は違ってもやはりフランクフルトの空気が悪いのだろう。
薬なしでも外出は可能だった。それでもまだふらふら気味である。関節などにまだスカスカズキズキ感がある。運動を再開するかどうかの目印になる。
10月2日に出かけたクロンベルクでの「四季」演奏会の一部と二部のハイライトが街頭放送局HR2から流れた。最初にアルフレード・シュニトケ作コンツェルトグロッソ6番が最初に流された。この曲では当夜のスターであるヤンセン、クレメル、ムストーネンの三人が共演した唯一の曲で、これを放送するだけの価値はあった。その他の楽曲は別途放送されるようだが、先ずは正しい選曲だろう。最初の二人の競演でムストーネン指揮ではバッハのドッペル協奏曲も演奏されたが、出来としてはやはり落ちる。
コンツェルトグロッソだが改めて何回も聴き返したいとは思うのだが、ムストーネンのピアノが秀逸で、この曲のチェンバロ紛いでもあるのだが所謂プリペアードピアノ風のそのピアニズム、こういう風に演奏できる人はあまり知らない。作曲家としてはそれほどの人ではないと思うが演奏家としては一流の人である。
二曲目は、例の楽譜に書いてある情景を四季の合間合間にアナウンサーが朗読するという構成にしていた。決して悪くはないのだが、ライヴ性はその曲間の調音とかお客さんの雰囲気とかにあるので、その点は物足りない。
もう一つ仕事しながら流していると観ながら真剣に聴いていたものよりも短く終ってしまう。やはりそれなりにテムポも早かったのだろう。クレメルの録音などはそこで濃淡をつけていた。
そうした細やかなところでの音楽性は、ライヴではより技術的な細部への拘りと感じたのだが、やはり音だけで聴くと我々門外漢ではそこまでは分かりにくい。寧ろ淡々とした印象が強くなる。こうした音楽性は意外に先頃のペトレンコ指揮ベルリナーフィルハーモニカーの演奏での早いテムポと聴き逃しにも通じる。
そして放送時間が余ったので、ピアツォラの作品から夏と秋が放送された。南半球であるから北半球とは反対だという断られていた。やはりこの辺りも、この組み合わせの面白sだの一つでヴェネツィアと大都市との対照にも繋がっている。
参照:
春以来のクロンベルク 2024-10-05 | 音
祝祭的でないブルックナー 2024-11-24 | マスメディア批評
インフルエンザにどこで罹ったかというとやはりアルテオパーだと思う。12日に出かけて、17日に熱が出ているので潜伏期間としては正しいか?コロナ初期にもそこでうつされているので会場は違ってもやはりフランクフルトの空気が悪いのだろう。
薬なしでも外出は可能だった。それでもまだふらふら気味である。関節などにまだスカスカズキズキ感がある。運動を再開するかどうかの目印になる。
10月2日に出かけたクロンベルクでの「四季」演奏会の一部と二部のハイライトが街頭放送局HR2から流れた。最初にアルフレード・シュニトケ作コンツェルトグロッソ6番が最初に流された。この曲では当夜のスターであるヤンセン、クレメル、ムストーネンの三人が共演した唯一の曲で、これを放送するだけの価値はあった。その他の楽曲は別途放送されるようだが、先ずは正しい選曲だろう。最初の二人の競演でムストーネン指揮ではバッハのドッペル協奏曲も演奏されたが、出来としてはやはり落ちる。
コンツェルトグロッソだが改めて何回も聴き返したいとは思うのだが、ムストーネンのピアノが秀逸で、この曲のチェンバロ紛いでもあるのだが所謂プリペアードピアノ風のそのピアニズム、こういう風に演奏できる人はあまり知らない。作曲家としてはそれほどの人ではないと思うが演奏家としては一流の人である。
二曲目は、例の楽譜に書いてある情景を四季の合間合間にアナウンサーが朗読するという構成にしていた。決して悪くはないのだが、ライヴ性はその曲間の調音とかお客さんの雰囲気とかにあるので、その点は物足りない。
もう一つ仕事しながら流していると観ながら真剣に聴いていたものよりも短く終ってしまう。やはりそれなりにテムポも早かったのだろう。クレメルの録音などはそこで濃淡をつけていた。
そうした細やかなところでの音楽性は、ライヴではより技術的な細部への拘りと感じたのだが、やはり音だけで聴くと我々門外漢ではそこまでは分かりにくい。寧ろ淡々とした印象が強くなる。こうした音楽性は意外に先頃のペトレンコ指揮ベルリナーフィルハーモニカーの演奏での早いテムポと聴き逃しにも通じる。
そして放送時間が余ったので、ピアツォラの作品から夏と秋が放送された。南半球であるから北半球とは反対だという断られていた。やはりこの辺りも、この組み合わせの面白sだの一つでヴェネツィアと大都市との対照にも繋がっている。
参照:
春以来のクロンベルク 2024-10-05 | 音
祝祭的でないブルックナー 2024-11-24 | マスメディア批評