<ガジュマルの木は、古くから精霊が宿る木として知られる 見てくれとは反対に…>
さて沖縄二日目は、ゆいモノレールの終点である首里城公園に行くことにしました。首里城は、琉球王朝の王城で14世紀末に築城さらたと推定されています。戦前は正殿などが旧国宝に指定されていました。しかし、昭和20年太平洋戦争末期の沖縄戦で、首里城直下に陸軍の総司令部があったために、米軍によって城郭及び周辺は壊滅的に破壊されました。戦後、琉球大学が王城跡地に建設でされ、ほぼ完全に首里城は姿を消してしまいました。しかし、王城再建の声が高まり、昭和55年に琉球大学が中頭郡西原町に移転するとともに、復元が始まりました。平成に入って正殿をはじめ各建築物、正殿に至る各門と城郭が再建されました。(Wikipediaによる)
現在は国営沖縄記念公園の首里城地区・通称「首里城公園」として都市公園に指定されています。さてゆいモノレールのおもろまち駅から終点の首里駅までは10分足らずです。降りてから公園の入り口までが実に遠い。事前に調べればよかったのですが…バス停3-4か所分ありました。首里当蔵町の交差点を左折して歩くと、十数年前に訪れた時の記憶がよみがえってきました。見かけたことのある飲食店があったのです。
今は使われていないのでしょうか。草ぼうぼうで手入れがされていないようでした。
こちらの飲食店は営業中のようです。
さらに進むと首里城公園に隣接する県立芸術大学がありました。観光客の立ち入りは原則禁止とのことでした。ところどころにハイビスカスが咲き乱れ、南国を思わせます。この芸大は昭和61年開学で、美術工芸学部と音楽部があり、音楽部の中に琉球芸能専攻コースもあります。
案内図が小さくてわかりにくいですが、当蔵町のバス通りから左折して、沖縄芸術大学の前を通り、さらに10分ほど歩くと、公園入口の総合案内所につきます。そこから直進すると、木曳門(図中赤いラインの28)をくぐって、表題に上げた正殿(入館料820円 1名/大人)に着きます。また途中で左に折れると、2千円札で有名な守礼の門(下の画像)に至ります。なお、上の案内図では青いラインの1歓会門のもっと右にあります。
観光客のほとんどがアジア系外国人でした。
H16年3月に訪れた時に、二千円札と守礼の門を撮っている観光客に、お願いして撮らせていただきました。現在二千円札はほとんど出回っていませんが、郵便局ではわずかですが両替用に保管しているようです。
正殿への入館券販売、飲食コーナー、お土産品コーナーのある幸福門前に、大きなガジュマルの木がありました。
入館券を購入して館内を見学すると、まず目につくのが、このミニチュア。ウナーと琉球語で呼ばれる庭では、かつてこのような光景があったのですね。なお、正殿ほか各所は、ほとんどが撮影OK。
それらの写真については掲載を略して、世誇殿で行われた琉球芸能を紹介してときます。
音楽や踊りに全く疎い私には…、踊りの前に解説がありましたが…きれいに忘れてしまいました。
う~ん、私の理解の範囲を超えていた~。せっかくの伝統芸能も猫に小判、いや豚に真珠、申し訳ありません。
ということで、周辺の森や林を探索してみました。各所に「ハブに注意」の警告板が…ビビっちゃうね。北海道で言えば「ヒグマに注意」と同じだ。
突然現れた「琉球大学跡」の石碑。なるほど、沖縄戦で破壊された跡地に大学が設置されていたんだ。全く知りませんでした。
木が赤く紅葉しているのかと思い、近寄ると、なんと赤と緑の葉がまだら模様、しかも緑の葉が徐々に紅葉しているわけではない。これも珍しい。
これも不思議だ。新緑の木の先が枯れて…こんなのありか、と思っちゃう。
林の中にハブならぬ、真っ赤なイクラのような実の植物が…とても同じ日本とは思えぬような南国風植物に、度肝をぬかしてしまった。
さて、首里城公園の見学を終えて、当蔵町のバス停に着たはいいが、モノレール方面へはと、適当に歩くと、なかなかバスが来ない。まあいいか、街中ウォッチングを兼ねてふらふらと…、でも腰が重い。
何じゃ、「くらえ」とは、乱暴な店名と…、その下のローマ字表記を読んで、納得。くらゆき、だった。でももっといい名前がなかったのかな?
一瞬、外車オースチンを改造した飲食用移動販売車かと思ってしまいましたが、車は前のほう厚さ10cmほどしかなく、カウンターになってました。目を引くアイディアに、拍手ですね。
うん?黄色い提灯に、自販機まだ黄色で統一されている、この店は一体何だろうと思い、よく見ると「角ハイボール」とある、スナックバーのようだね。でも、面白いのが、向こう隣りの店が、やはり黄色に関係のある、カレー屋さんだった。
帰りの途中で見かけたシーサー。シーサーは、沖縄でいう守り神で、店と言わず、民家と言わず、ビルにもどこにでも飾れれています。でもこのシーサー色黒で、おまけに屋根が真っ白。なので、この焦げ茶色のシーサーの前後、裏表の判別がつかない。画像を拡大してみると…最初後ろ向きに飾られてると思ったのは間違いで(顔が向う向いてて、しっぽがこちら側)、顔は左向き、しっぽが右側に立ってる。それにしても、もう少し、配色を考えたほうが…いらぬ配慮でした。
次回は、三日目北谷町美浜のアメリカ村をレポートいたします。
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