今日は年に一度の人間ドック、いつもの多摩丘陵病院に行ってきました。例年なら帰りに付近の紅葉を楽しんでくるのですが、今年は今にも泣き出しそうな曇り空。つくづく今年は曇男だなあと感じつつ、曇天の小田原の続きです。
小田原の偉人と言えば五代続いた北条氏の初代北条早雲が有名ですが、忘れちゃいけない二宮尊徳。尊徳は幕末、報徳社を設立して関東一円の農村の救済活動をしていましたが、尊徳の没後もその遺志は引き継がれ、明治になってから報徳社社員によって尊徳を祀る神社が、尊徳の生地である小田原の小田原城址内に創建されました。
小田原の偉人と言えば五代続いた北条氏の初代北条早雲が有名ですが、忘れちゃいけない二宮尊徳。尊徳は幕末、報徳社を設立して関東一円の農村の救済活動をしていましたが、尊徳の没後もその遺志は引き継がれ、明治になってから報徳社社員によって尊徳を祀る神社が、尊徳の生地である小田原の小田原城址内に創建されました。
それが報徳二宮神社
曇り空にのぼりが揺れる
小田原の紅葉の名所
鳥居は大正十五年の建立
いきなり現れる尊徳翁の立像
歳を重ねても本は離さじ
入り口横のきんじろうカフェも
紅葉の見ごろを迎えて
イタリアン珈琲を嗜みながら
紅葉を愛でる
しばし休憩の後に
本尊に向かいました
本尊の手前には
神社には珍しい噴水
社務所に続く渡廊下をくぐると
銀杏舞い散る裏手に
裏鳥居をくぐると小田原城内です
続きはまた明日
曇り空にのぼりが揺れる
小田原の紅葉の名所
鳥居は大正十五年の建立
いきなり現れる尊徳翁の立像
歳を重ねても本は離さじ
入り口横のきんじろうカフェも
紅葉の見ごろを迎えて
イタリアン珈琲を嗜みながら
紅葉を愛でる
しばし休憩の後に
本尊に向かいました
本尊の手前には
神社には珍しい噴水
そして御社殿 天保の大飢饉の際、藩主の命により尊徳が小田原城内の米蔵を開き、米が人々の手に渡ったことにより領内から一人の餓死者も出さずにすんだ。その米蔵の礎石が使われているそうです。歴史は浅い神社ですが、その分功績に現実味がありますね。
社務所に続く渡廊下をくぐると
銀杏舞い散る裏手に
裏鳥居をくぐると小田原城内です
続きはまた明日
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます