私は、自他共に認める悪筆である
学生時代、小論文でお世話になった教授には
「君の論文は、内容・文章力ともに問題はないが…、舞踊家だけに文字も“踊って”いるのかな…」
と評され、母には
「アナタのは“字”じゃなくて“模様”だね」
と酷評されたほどの“立派な”悪筆である。
それが先月、友人と銀座の鳩居堂で、素晴らしい古端渓の硯や高価な筆墨を眺めて以来、ちょっと
筆で字を書いてみたいなぁ
という興味が芽を出したの。
こういうときに頼りになるのが、書道五段の我が母であります。
わざわざ教室に習いに行かずとも自宅で手軽気軽に練習出来るアイデアをいろいろと出してくれました。その折、母が言うには
『自分の名前と現住所、あとは平仮名がきれいに書ければそれで』
宜しいそうで、この一言からも、まったく期待されていないことが良く分かる…
まぁ、そんなわけで気が向いた時にチョコチョコッと練習をしています。
初めて筆を持った時、まずは平仮名の“あ”から、用意した半紙に大きく
あ と書く……。
「あ゛ぁ゛っ……」
こっ、これは…っ…、すでに“あ”ではない…
きっ気を取り直してもう一度 あ と……。
「あ゛ぁ゛っ……やっぱり…」
なんと平仮名の“あ”も満足に書けないなんて…っ
う゛~ん…、“字を書く”以前に“運筆”が下手クソであるな…
いずれにしても最初の一文字で大きく蹴っつまずいたわけだが、
何事も基本が大事、バレエだって毎回《グラン・プリエ》からレッスンを始めるんだ、4?年ソレを続けてきたんだ、だから積み重ねだっ
と自分を慰めながら“字の稽古”をしている。
私がやっているのはあくまでも“習字”であって、決して“書道”などという大それたものではありません
しかしなぁ、『ミミズがのたくったような字』という表現があるが、
それって、成る程こういう字のことをいうんだな…
と、今までは漠然としていた言葉の意味やその具体的なイメージを、身を以って識ってしまった。
一生に一度でいいから
水茎のあとも麗しい文
というのを書いてみたいものじゃなぁ…
学生時代、小論文でお世話になった教授には
「君の論文は、内容・文章力ともに問題はないが…、舞踊家だけに文字も“踊って”いるのかな…」
と評され、母には
「アナタのは“字”じゃなくて“模様”だね」
と酷評されたほどの“立派な”悪筆である。
それが先月、友人と銀座の鳩居堂で、素晴らしい古端渓の硯や高価な筆墨を眺めて以来、ちょっと
筆で字を書いてみたいなぁ
という興味が芽を出したの。
こういうときに頼りになるのが、書道五段の我が母であります。
わざわざ教室に習いに行かずとも自宅で手軽気軽に練習出来るアイデアをいろいろと出してくれました。その折、母が言うには
『自分の名前と現住所、あとは平仮名がきれいに書ければそれで』
宜しいそうで、この一言からも、まったく期待されていないことが良く分かる…
まぁ、そんなわけで気が向いた時にチョコチョコッと練習をしています。
初めて筆を持った時、まずは平仮名の“あ”から、用意した半紙に大きく
あ と書く……。
「あ゛ぁ゛っ……」
こっ、これは…っ…、すでに“あ”ではない…
きっ気を取り直してもう一度 あ と……。
「あ゛ぁ゛っ……やっぱり…」
なんと平仮名の“あ”も満足に書けないなんて…っ
う゛~ん…、“字を書く”以前に“運筆”が下手クソであるな…
いずれにしても最初の一文字で大きく蹴っつまずいたわけだが、
何事も基本が大事、バレエだって毎回《グラン・プリエ》からレッスンを始めるんだ、4?年ソレを続けてきたんだ、だから積み重ねだっ
と自分を慰めながら“字の稽古”をしている。
私がやっているのはあくまでも“習字”であって、決して“書道”などという大それたものではありません
しかしなぁ、『ミミズがのたくったような字』という表現があるが、
それって、成る程こういう字のことをいうんだな…
と、今までは漠然としていた言葉の意味やその具体的なイメージを、身を以って識ってしまった。
一生に一度でいいから
水茎のあとも麗しい文
というのを書いてみたいものじゃなぁ…