昨日は第5火曜日、5週目にあたる《スタイル・メイク エクササイズ》のクラスはお休み。
午前中に必要な家事を済ませてしまうと、とくに予定もない一日。
さて、本屋さんに行ってみよう
まず新刊の棚を見渡して、次は文庫本の棚、単行本の棚、民俗学などの専門書の棚…、といつもと同じコースで見て回る。
途中に設置してある端末で検索もしてみる。
ひと回りしたら気になった文庫本のところに戻ってその一冊を手にとり、カバー背面の内容紹介を読む。
よし
帰りの電車でつまみ食いならぬつまみ読み。
…あたり…
帰宅して早速1ページ目を開き……。
最後のぺージの最後の1行を読み終えて胸の中にほんのりと暖かなもの、穏やかな充足を感じたとき。
え゛…っ、もう8時過ぎてる…
この作家の作品ではいつもこうなる。
一旦停止するのが惜しい。
物語のなかの人々と共にいたい、ともに見届けたい。
そんな気になってしまって他の何事かを差し挟むのが難しくなる。
『銀二貫』田郁
仇討によって目の前で父を殺された10歳の少年が大阪の寒天問屋主人和助に救われ、町人として成長し大成していく物語である。
その鍵となっているのが銭=二貫の銀である。
二貫の銀によって少年が救われたのちも、一貫の銀、また二貫の銀が人を救っていく。
そして冒頭で少年を救った二貫の銀も、少年も彼を救った寒天問屋主人和助も知らぬところで更に数多の人々を救っていたという予想外の展開。
奥行きと魅力のある登場人物。
悪役も二人登場するが、これは“悪”なのではなくダメ人間なのだ。
大阪天満を舞台にしているだけに会話文はすべて大阪弁である。
関西芸人と称する者たちの乱暴で品のないとげとげしい関西弁を私は好まないが、この作品の大阪弁にはまったく嫌悪を感じない。
著者が宝塚市生まれだから表記されている大阪弁が本物だからであろうか。
もちろんイントネーションやアクセントは想像しながら読むしかないが、それでもその言葉が醸し出す雰囲気は十分に感じ取れる。
銀二貫を差し出して“仇討を買う”という名目で少年を救った和助。
穏やかな晩年を迎えた和助の言葉に大番頭の善次郎が答えていう。
「ほんに安うて、ええ買い物でおました」
本当の主人公はこの和助と善次郎なのではないかと私は感じている。
人を助けるではなく人を活かすとはいかなることかを、この二人を通して著者は語りたかったのではないだろうか。
さ、もう一度じっくり読も
午前中に必要な家事を済ませてしまうと、とくに予定もない一日。
さて、本屋さんに行ってみよう
まず新刊の棚を見渡して、次は文庫本の棚、単行本の棚、民俗学などの専門書の棚…、といつもと同じコースで見て回る。
途中に設置してある端末で検索もしてみる。
ひと回りしたら気になった文庫本のところに戻ってその一冊を手にとり、カバー背面の内容紹介を読む。
よし
帰りの電車でつまみ食いならぬつまみ読み。
…あたり…
帰宅して早速1ページ目を開き……。
最後のぺージの最後の1行を読み終えて胸の中にほんのりと暖かなもの、穏やかな充足を感じたとき。
え゛…っ、もう8時過ぎてる…
この作家の作品ではいつもこうなる。
一旦停止するのが惜しい。
物語のなかの人々と共にいたい、ともに見届けたい。
そんな気になってしまって他の何事かを差し挟むのが難しくなる。
『銀二貫』田郁
仇討によって目の前で父を殺された10歳の少年が大阪の寒天問屋主人和助に救われ、町人として成長し大成していく物語である。
その鍵となっているのが銭=二貫の銀である。
二貫の銀によって少年が救われたのちも、一貫の銀、また二貫の銀が人を救っていく。
そして冒頭で少年を救った二貫の銀も、少年も彼を救った寒天問屋主人和助も知らぬところで更に数多の人々を救っていたという予想外の展開。
奥行きと魅力のある登場人物。
悪役も二人登場するが、これは“悪”なのではなくダメ人間なのだ。
大阪天満を舞台にしているだけに会話文はすべて大阪弁である。
関西芸人と称する者たちの乱暴で品のないとげとげしい関西弁を私は好まないが、この作品の大阪弁にはまったく嫌悪を感じない。
著者が宝塚市生まれだから表記されている大阪弁が本物だからであろうか。
もちろんイントネーションやアクセントは想像しながら読むしかないが、それでもその言葉が醸し出す雰囲気は十分に感じ取れる。
銀二貫を差し出して“仇討を買う”という名目で少年を救った和助。
穏やかな晩年を迎えた和助の言葉に大番頭の善次郎が答えていう。
「ほんに安うて、ええ買い物でおました」
本当の主人公はこの和助と善次郎なのではないかと私は感じている。
人を助けるではなく人を活かすとはいかなることかを、この二人を通して著者は語りたかったのではないだろうか。
さ、もう一度じっくり読も