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BALLAD・・・アニメと実写

2009-10-04 01:17:00 | アニメ


■ 近年日本映画の傑作は?と聞かれたら ■

「近年日本映画の傑作は?」と聞かれたら、
私は躊躇無く、「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ あっぱれ 戦国大合戦」を挙げます。
気でも狂ったかと思われる方も多いでしょう。
事実、職場でこう答えると、「ふーーん・・・。」と冷たい視線が返ってきます。

最近でこそ、クチコミで評判が広がり、
実写映画も公開されて、知ってる人は「あれ、良いよね」と言ってくれますが、
私の世代の友人は、クレヨンシンチャンと言えば、TVでしか見ませんから、
「騙されたと思って見てごらんよ」という私の言葉は、虚く漂うばかり。

■ クレヨンしんちゃんの映画シリーズは侮れない ■

実は、クレヨンしんちゃんの映画シリーズはどれも侮れません。
私も子供とビデオをレンタルするまでは、バカにしていましたが、
見てみるとこれが実に面白い。
初期の作品は、お下品なギャク満載のドタバタ映画ですが、
アバンギャルドとも言えるその作風は、他の映画の追随を許さないものがあります。

我が家は一時、ゴールデンウィークは映画館で家族全員でクレヨンしんちゃんを見ていました。
とんでもない困難に立ち向かう「野原家」を見ていると、
何だか元気が沸いてきて、明日からも頑張ろうという気持になったものです。
さすがに、長男が中学生になった時から、このイベントは無くなりましたが・・・。

監督が原恵一に代わってからは、作風もドタバタ一辺倒では無くなり、
「オトナ帝国の逆襲」と「戦国大合戦」は傑作の呼び声も高い作品です。
その後、何人か監督が変わりながら劇場版は続いていますが、
この2作を越えるものはありません。

■ 実写映画が忘れたもの ■

原恵一版のクレヨンしんちゃんを見ていると、
日本の実写映画が忘れた物が、はっきりと見えてきます。

「オトナ帝国の逆襲」では、かつての昭和40年代をモチーフに日活映画を再現しています。
あの時代の日本映画の持っていた、かすれた安っぽさが良く出ています。
ともすると、「三丁目の夕日」みたいに甘さ一辺倒に偏ってしまい勝ちな「過去への郷愁」を、
あえて、チープな日活活劇風のキャラクターが演じる事で、べた付きを抑えています。
これを実写でやると、物凄くダサイものになるのですが、(林海象かな?)
アニメだからギリギリでバランスしてしまいます。

こういった結構シリアスな背景に、しんのすけや野原家の面々が撹乱を加えます。
丁寧に撮り上げたフィルムを、ハサミでズタズタにする様な勢いで、
しんのすけが暴れ周ります。
これが、劇場版クレヨンしんちゃんの魅力です。
どんなにクールに決めても、しんちゃんの「お尻」一発で、雲散霧消します。

しかし、しんちゃんも、ふざけてばかりではありません。
やるときゃ、ちゃんとキメテくれます。
「オトナ帝国」では、東京タワーを駆け上るシーンが圧巻です。
階段を駆け上るしんのすけを、正面から捉えたカメラは、
しんのすけがコケレバ引きのアングルに、
しんのすけが走ればアップに目まぐるしく変化しながらしんのすけを捉え続けます。
まさにアニメにしか出来ないシーンでが、
この「撮る」事への拘りは、最近の小奇麗なカメラワークの実写映画が忘れ去ったものです。
トリフォー監督の「大人は分かってくれない」の回転遊具のシーンの様な、
カメラが存在して初めて日常から切り取られるシーンの一つでは無いでしょうか。

■ 時代劇にこだわった「戦国大合戦」■

原恵一は「戦国大合戦」では徹底的に時代劇に拘ります。
それも、白黒時代の「雪姫・・なんたらっかんたら」みたいな映画。

作画は徹底してシンプルに、色彩も淡く、
カメラは固定でロング。
そして、凄いのはBGMの音が揺れまくっている事。
そう、当時のモノクロ映画の音は揺れていた・・・。
機材の性能が低いので、サウンドトラックのワウフラッター(録音回転ムラ)が大きくて
映画音楽ってフワフワと揺れているものでした。
原恵一は、この音の揺れまでも再現して、徹底的に白黒映画時代に拘ります。

関東の小国「春日」の国は、戦国時代、隣国との戦に明け暮れています。
「春日」の侍大将は、「井尻又兵衛」は「鬼の井尻」と呼ばれる猛将。
しかし、女にはめっぽう弱く、30にして未だ独身。

「春日」の姫君の「廉(れん)」は、凛として気高く、そして優しい。
又兵衛と廉は、幼馴染であり、内心密かに魅かれ合う中。
しかし、戦国時代の当時は身分の違う恋が適うはずも無く、
又兵衛は廉への思いを、ひたすら押し殺しす事を忠義とします。

そんな「春日」に、しんのすけがタイムスリップしてやって来ます。
ひょんな事から、又兵衛の命を救ったしんのすけは、又兵衛の家に厄介になります。
堅物で頑固一辺倒な又兵衛が、しんのすけに翻弄される様が可笑しいです。

さて、しんのすけが居なくなった野原家は大騒動。
しかし庭の穴の中から、明らかにしんのすけの書いた「古文書」を見つけた父ヒロシは、
しんのすけを助けるべく、ミサエとヒマワリとシロを車に乗せ、一路戦国時代を目指します。
・・・って、しんのしけが消えた庭に車を乗り入れて祈るだけですが。
っと、一瞬で戦国時代に。
この唐突さが、実に良い。科学的説明など一切無いから、実に分かり易い。

さて、いきなり車が目の前に現れ、又兵衛と廉はビックリするが、
ヒロシとミサエは、しんのすけを車に載せ、御礼もほどほどに、現代に戻る事を念じます。
・・・しかし、戻れる訳も無く、野原一家は戦国時代の真っ只中。

好奇心の強い廉は、車に乗り込み、又兵衛は馬で後を負います。
このシーンの素晴らしい事。
ススキの野を行くポンコツ車と、それを追う馬。
スピードを上げる車に、置いていかれる馬。
廉の視点から、ロングショットへ。

さて、ヒロシから「春日」は歴史に名を残さない事を知った城主・春日和泉守は、
大国の城主・大蔵井高虎と廉との縁談を断る決意をします。
日々戦いに明け暮れても、春日も大蔵井も歴史から消え去る無常を知り、
廉と暮らす日々を選びます。
しかし、これは大蔵井高虎が春日を攻める口実を与える事にもなります。

小国春日の城を取り巻く、大蔵井高虎の大軍勢。
籠城戦とは言え、春日の敗北は避けようがありません。

■ 戦国大合戦の最大の見せ場は「城攻め」 ■

さて、ここからが、「戦国大合戦」の真骨頂。
なんと、子供映画でありながら、当時の城攻めの様子が克明に描写されます。
これに比べたら、NHKの大河ドラマなんて、子供の絵本です。

束ねた竹を鉄砲への盾として押し出す軍勢。
鉄砲を放った後、第2射までを防ぎ矢で凌ぐ様。
以外と効果のある、石つぶて。
名のりを上げて城に乗り込む様。
巨大な移動式の櫓(車井楼)で、城壁の上から攻撃する様。
焙烙火矢という爆弾の使用。
さらに、敵兵は領内の麦の穂を、なぎ払いながら進軍してきます。

どれも、当時の合戦の様子を綿密に調べて描写されています。

春日軍は善戦し、昼の戦の終了を告げるほら貝を合図に、
敵兵は自陣に引き上げて行きます。
その時のやり取りも面白い。
「ほらほら、今日は終わりだ。早く帰れ」
敵兵もあっさりと引き上げて行きます。
戦という修羅場でありながら、ゆったりとしたルールが支配しています。

さて、劣勢が確定的な春日軍は、夜明けと共に敵本陣を急襲する決死の策に出ます。
その隙に、野原家は車で城を逃れる算段です。
又兵衛は少数の手勢を率いて、春日城を後にします。

春日城を離れる野原家の車の後方で、戦いの火蓋が落とされます。
ハンドルを握るヒロシの手に力が入ります。
「俺達はこれでイイのかよ!!」

その頃、春日軍は敵に包囲されています。
長槍隊を前に押し出して対抗しますが、
数の劣勢はどうする事も出来ず、春日軍は全滅の一歩手前に追い詰められます。

この時、クラクションを派手に鳴らしながら、
野原家のオンボロ車が飛び込んできます。
「オラオラ、怪我しても保険はきかねーぞー」
突然の見たことも無い車の登場に、敵兵は怯みます。
その隙を突いて、野原家の車は敵本陣に突っ込みます。
・・・しかし、突っ込んだは良いが、大蔵井高虎とヒロシでは・・・。
ところが、ヒロシが以外な奮闘を見せ、さらに又兵衛が登場し!!

あれ、ほとんど、粗筋を書いてしまいましたね。
ネタバレごめんなさい。
結末を知りたい方は、レンタルビデオ店へGO。

大の大人が、我を忘れてしまう程、面白い事は請け合います。
(ただ、野原家に愛情を感じていない方は、ちょっと苦しいかも)

■ 「戦国大合戦」の実写版 「BALLAD」 ■


この夏、「戦国大合戦」が実写映画化されませした。
監督は「三丁目の夕日」の山崎貴。

主演は、又兵衛を草薙剛、廉姫を新垣結衣。

実は、私は草薙君は大好きです。
「スターの恋」以来、下手だけど放って置けない俳優です。
新垣結衣も大好きです。だってカワイイじゃないですか。

だから、原作映画のファンとしては、やはり見ない訳にはいかないでしょう。
という訳で、先日、映画館へ足を運びました。
平日の昼間だったので、観客は10人程。
映画館って、やはり土日が勝負だよね・・・などと思いつつ。

■ 野原家は登場しない ■

先ず、BALLADには、野原家は登場しません。
しんのすけは気の弱い小学生に、
しがないサラリーマンだったヒロシは、カメラマンのアキラ(筒井道隆)に、
専業主婦のミサエは、キャリアウーマンのミサコ(夏川結衣)に変わっていました。

しんちゃんを初め、野原家のドタバタ以外は、
実写版はいたって原作アニメに忠実で、セリフもほぼそのまま。
合戦シーンも忠実に再現されています。

■ 原作から中途半端に距離を置いて失敗 ■

あまり期待はしていなかったので、「こんなもんだろうな」という感想以外ありあません。
基本的に、原作から中途半端に距離を取った為に失敗しています。

先ず、野原家はキャラ濃すぎですから無理としても、
その代替の川上家のキャラが弱すぎです。
これでは、戦国時代にノイズとして現れる現代人というアイデアが生きてきません。

川上家の面々は、戦国時代で何と日常生活をしています。
アニメ版の野原家だから、戦国時代でも普段の野原家が生きて来る訳で
普通はかなり混乱します。
戦に巻き込まれたら、車で真っ先に逃走を図ります。
だいたい、当時の武士とでは価値観が違い過ぎて、話がかみ合わないはずです。

アニメだから無視する事で、むしろ面白さを引き出していたこれらの点を、
実写映画が見逃してしまったら、リアリティーは確立しません。
戦国武士は風呂にもそんなに入らないでしょうから、
真一に「臭い」の一言でも言わせれば良いのです。
その点、小林製薬?の芳香剤の「外人のかぐや姫」の方正直で宜しい。

さらに、草薙剛が優し過ぎます。
又兵衛は頑固物でなくては、真一とのギャップが発生しません。
ガッキーは・・・・全て許します。全然OKです。
完璧な「廉姫」です。ほんと・・・・。

■ リアリティーを穿き違えた山崎監督 ■

監督の山崎貴は、多分アニメ版の意外なリアリティーに感動して、
実写版でもリアリティーを追求したのでしょう。

しかし、アニメ映画の追求したリアリティーは、
白黒映画の時代劇に対するリアリティーで、
戦国時代の描写の細かさは、作品が安っぽく評価される事への対策に過ぎません。
そこを勘違いした事が、今回の実写化の最大の敗因です。

そこに気付いていれば、白黒で撮るという選択もあったでしょう。
そうすえば、野原家が登場しても、実は違和感無かったのでは無いでしょうか。
尤も、その場合は、室内シーンでもカメラは引きが主体で、
会話では無く、動きで見せる絵作りが必要でしょうが。

それと、緊張と弛緩、躍動と静謐の対比が、原恵一版では際立っています。
これも、のはら家あってのものですが、
毎度ドタバタのしんのすけに、「金打(きんちょう)」と言わせ、
青空にぽっかり浮かぶ雲にカメラをパンさせる。
この一瞬を支配する、凛とした空気こそが、戦国大合戦を名作たらしめています。

あえて「アニメ」に「カメラ」という言葉を意識して使ってきましたが、
それ程までに原恵一は過去の映画を研究しつくし、
映像としての映画とは何なのかを、自身に問い続けています。
映像の隅々から、過去の映画の名シーンが滲み出してきます。

映画史100年を凝縮した「戦国大合戦」に、
中途半端な実写映画が敵う訳が無いのです。

■ CG使いまくりの最近の時代劇の100倍は良い ■

しかし、BALLADは、戦闘シーンにCG使いまくりの最近の時代劇の100倍は素晴らしい。
脳味噌に、アドレナリンを分泌させる事しか考えない最近の時代劇映画に比べ、
殺陣もそれなりにしっかりしています。

原作アニメが存在しなければ、それなりに評価されたかもしれない事を思うと、
ちょっと勿体無い気がする映画です。


追記 「金打」(きんちょう)とは、武士が約束を交わす時に、刀を鞘から少し引き抜き、
   「キンチョウ」と言いながら、お互い鞘に収める習慣を言います。
    又兵衛と「金打」の約束を交わしたしんのすけは、
    現代に戻った後、一人、又兵衛を偲んで、「金打」を交わします。

追記2 原恵一は先日取り上げた細田守と双璧を成す、日本アニメ果の期待の星です。
    細田が、従来アニメの延長線での成長を続けるのに対して、
    原恵一は独特のセンスで作品世界を作り上げて行きます。

    平成ガメラシリーズの特撮監督やエバンゲリオンの作画などで知られる樋口慎二は、
    アニメ作品を自身が撮らない理由に、原恵一の存在を上げています。
    尤も、ガメラを除く樋口の実写映画は、「終戦のローレライ」を始め、
    見るに耐えない作品のオンパレードですが・・・。

    かといって平成ガメラシリーズに見る樋口の仕事ぶりが色褪せるものでは無く、
    炎上する京都に降り立つイリスの姿は、
    日本映画史の何十年かを凝縮した様な見事な映像です。
    これだけでも、樋口にはまだまだ期待してしまいます。(尤も特撮監督としてですが)