■ 「本と私の物語」の始まり ■
「CDはジャケ買い、本は題名買い」をモットーとする私。最近は近所の小さな古本屋さんがお気に入りです。増えすぎた子供のマンガを売りに行くついでに、ハードカバーが並んだ小さな書棚を覗くのが最近の楽しみです。
チェーンの大きな書店に、本があるのは当たりまえです。検索機で書名を検索して目的の棚から、目的の本を探す事が出来ます。便利このうえ無いシステムですが、そこには本との出合いがありません。
平積みされた本の山や、林立さた書棚をザっと眺めて、目に付いた本を手に取る事もありますが、そこには「本と私の物語」が希薄です。
小さな街の古本屋の、小さな書棚をゆっくり眺めて、そこに並ぶ本に「誰が読んだんだろう?」などと想像を巡らしながら、意外な一冊と出会う楽しみは、大規模書店では味わえない「本との出会いの瞬間」に溢れています。子供のマンガを売り払った時に手にした千円札は、こうして私の本に姿を変えます。
■ JOZZ3RC-FM 82.8MHz こちらはミサキラヂオ ■
「ミサキラヂオ」。この不思議な題名の本ともそうして出合いました。
太平洋に突き出した「ミサキ」は東京からそう遠くない土地です。ミサキには小さな漁港があって、その一画にポツンと建つ小屋から、ミニFM局の「ミサキラヂオ」は放送されています。電波は周囲10Kmに到達する程度の小出力。誰が聞くとも無く流される電波は、しかしミサキの人たちの生活にさり気なく浸透しています。
文化人かぶれの水産加工工場の社長が、東京での夢やぶれて家業を継ぐ傍らで、「ミサキに文化の息吹を植えつける為」に始めた小さなラヂオ局、それが「ミサキラヂオ」です。
■ ラヂオ局に集う普通で異能の人々 ■
ミサキラヂオの番組は、地元の様々な人達の手作りです。
観光案内所に勤める元プータローのDJ。
ミサキを舞台いした歴史小説を朗読する土産物店主。
演歌をこよなく愛する怪しい実業家。
タレントに手を出して都落ちした録音技師。
詩を朗読する農業青年。
近現代音楽を愛する童貞音楽教師。
過去の音楽と化したROCKを愛する生物学研究者。
ちょっと尻軽な女子高生アルバイト。
内気な女子高生詩人。
6年間引きこもりを続ける女性音響作家。
老人ホームからブランティアで通う老人たち。
そんな、どこにでも居そうな人たちがミサキラヂオに集ってきます。そして意外な事に、それぞれの人たちが、水準以上の能力の持ち主です。「ミサキに文化を」と始めたラヂオ局は、ミサキに埋もれていた異能の人達を見出して行きます。ただ、それに気付くのは社長だけで、それぞれは自分の能力に気付く事無く、しかし内側の静かな衝動に動かされてミサキラヂオに集ってきます。
■ 電波がズレるラヂオ局 ■
ミサキラヂオが普通のラヂオ局と少し違っているのは、「電波が遅れて届く」事。
5分、10分、1時間、時には何ヶ月も何年も前の電波がラヂオから流れてきます。それも場所によってランダムに。原因は分かりません。人々は始めは不思議がりますが、今では自然にそれを受け入れています。
録音技師は職業柄、島に住む高校生の「第三の猫」は科学的興味から原因を探りますが
結局原因は分かりません。
■ 永遠に続く物語 ■
「ミサキラヂオ」は不思議な小説です。ほとんど改行も無く文字でページが埋め尽くされています。会話もカギカッコ無し、改行無しで交わされていきます。代名詞もほとんど無く、人物は「土産店主人」や「ワタナベユミ」や「録音技師」と一貫して呼称されています。何故なら、会話文ですら区切られていないので、彼や彼女では誰が誰だか分からなくなってしまうのです。
多くの人々が、ぎっしりと埋め尽くされた文字の中で、息づき、考え、生活している本・・・それがミサキラヂオです。
個々の人々の短いエピソードが、会話が、行動が積み重ねられて、いつしか本の中にミサキの街が生まれていきます。
はじめは違和感を覚えながら読み始めた読者も、埋め尽くされた文字の中に「整理さない連続性」という日常を見つけるにあたり、自分自身が本の中に取り込まれてしまったような錯覚を覚えるようになります。
ページを開くと、直ぐに港の魚臭さや潮の香りが漂ってきます。喫茶店アジールのコーヒーとカビの混じった匂いが鼻腔をくすぐります。ほとんど人物の描写だけで埋められた本からは、ミサキの自然や街並みが幻視されます。いつしか、ミサキの人々は読者の隣人として息づき始めます。本から目を上げたら、登場人物の誰かが傍らに立っているような錯覚さえ覚えます。
本は346ページで一応の終焉を迎えますが、読者の中に生成したミサキの街で、今日もミサキラヂオは放送され、社長は喫茶店アジールに顔を出し、DJタキは職場で軽口を叩き、録音技師と音楽教師は居酒屋でビール酌み交わします。
ミサキラヂオは「永遠に終わらない物語」を今日も多くの読者の中に紡いで行きます。
■ 柔らかな密度感・・・マルケスの世界 ■
ミサキラヂオは柔らかな密度感に満ちた小説です。ミッチリとした文字が鼻腔や毛穴から浸透して来る感覚は、南米の幻想小説に通じるものがあります。ガルシアマルケスやマニエル・プイグの小説に見られる冗長性と同質のものを感じずにはいられません。
電波のズレるラジオという設定が、あまりにも普通に存在してしまう世界は、納屋に「翼の生えた老人」が普通に転がっている世界に通じるものがあります。
あるいは、描写の積み上げの中で、何処にも無いトポスを現出させる手腕は、ジョナサン・キャロルの「死者の書」の様でもあります。いずれにしても、今まで日本には存在しなかったタイプの作家である事は確かです。
最近の人気作家が、マンガやアニメを想起させるのに対して、瀬川深の文章は、あきらかに80年代~90年代の海外小説を想起させます。
作者の「瀬川 深」は、1974年岩手県生まれで、東京医科歯科大学の医学部を卒業しています。世界50カ国を旅した旅行愛好家でもあります。「チューバはうたう」という短編集で太宰賞を受賞しています。
日本文学の枠を超えて、世界の文学に直接シンクロする感覚は、作者の経歴に起因するのかもしれません。
■ 影の主役は音楽 ■
ミサキラヂオの主役は人ではありません。ラヂオ局らしく音楽が主役です。それも流行歌などでは無く、現代音楽であったり、ラテン音楽であったり、過去の音楽となったROCKであったり、さらにはコラージュされた「音響」だったりします。
文字で埋め尽くされたページから様々な音が響いてきます。セイゲン・オノのCDを掛けた時にスピーカーの奥に広がる景色と同じ景色が、この本のページの向こうに透けて見えます。
■ ゆっくり読みたい一冊 ■
簡単な本ですが、私はこの本を読むのに半年掛かりました。もったいなくて1日3ページ以上読めないのです。いつまでもミサキの人々の中に身を置いておきたいと思わせずにはいられない一冊です。