■ 「ワンピース」の対極にあるもの ■
最近書店に「ワンピース」が山積されています。NHKのクローズアップ現代でも取り上げられるなど、一種社会現象化しています。
「友情」「勇気」「希望」「夢」という、少年漫画の基本を押さえながら、奇想天外なキャラクターが活躍する「ワンピース」は正に少年漫画の王道です。
そんな空前の「ワンピース・ブーム」とは対極的に、ひっそりと放映されているアニメがあります。
「放浪息子」と聞いてピンと来る方は皆無でしょう。何とも古臭いタイトルのアニメです。原作はコミック・ビームに連載中の志村貴子の同名マンガです。
内容は性同一性障害に悩む、思春期の男女の物語です。これだけ聞くとキワモノに聞こえますが、「女の子になりたい男の子」と「男の子になりたい女の子」と「女の子の様な男の子が好きな女の子」達の日常を、ふんわりと描いてとても新鮮です。
■ 普通の中一男女の、普通で無い悩み ■
原作は小学校から始まるようですが、アニメは中学の入学式から始まります。
「二鳥修一」は、ちょっと見女の子の様な中一男子です。親友の「マコちゃん」も、ちょっとイジイジした小柄な男子です。二人には秘密があります・・。二人とも「女の子」に憧れています。女の子が好きなのでは無く、女の子に成りたいのです。
姉のワンピースをこっそり着たり、声変わりの前にお互いの声を携帯に残したりと、周囲の目を気にしながらも、二人は「女子」を楽しんでいます。
二人のクラスメイトの「高槻よしのは」は長身短髪の女子。さっぱりした性格でバスケ部です。でも彼女にも悩みがあります・・・彼女は「男の子」になりたいのです。目立ち始めた胸に絶望し、男子生徒のつめ入り姿に憧れます。
ちょっと性格のきつい「千葉さおり」はは修一と高槻とは小学校からの同級生。しかし、ある事をきっかけに3人の仲はギクシャクしています。
小学校時代のある日、「さおり」の家で遊んでいた3人は、修一にさおりのワンピースを着せてみます。小学生のちょっとしたイタズラですが、それをきっかけに修一は自分の中の女性を意識し、高槻は男性の目で修一を見つめ、千葉は女の目で女性の修一を見つめます。
修一は次第に男性としての高槻に引かれ、千葉はそれに嫉妬します・・・。
設定だけ書いていると、レディースコミックかBFマンガみたいなドロドロの世界ですが、それが中学生男女の誰にでもある思春期の話の様に、淡々と進行していきます。
■ マコちゃんという理解者 ■
このキワモノのストーリーを等身大の中学生の話に繋ぎ止めるのは、マコちゃんの存在です。
修一ほど可愛くも無く、むしろメガネのチビで醜いマコちゃんが、それでも乙女さながらの気遣いで、バラバラになりそうな皆を繋ぎとめています。
体育の授業後修一とマコちゃんはは教室の隅っこでコソコソと着替えます。男子達は「女の子みたいだ」と揶揄します。一方、そんな二人は、教室のオトコ臭さに辟易しています。
修一が買った四葉のクローバーのヘアピンを、嬉しそうに髪に刺すマコちゃんの醜い笑顔は、この話がアニメの中だけで無いことを視聴者に訴えかけます。
マコちゃんは、自分の外見の醜さと、存在の醜さを自覚しながらも前向きです。ともすると内側にこもり勝ちの修一を力図良く励まし、千葉に自分の本音を語る事で、自己破壊しそうな千葉のはけ口になったりもしています。
「ひょっとして、自分のクラスにもマコちゃんが居たのでは無いか?」というリアリティーをマコちゃんは視聴者に与えます。
■ 差異を見つめる視点 ■
原作を未読なので、この作品をどう評価して良いのか分かりませんが、それでも「放浪息子」が今期のアニメの中で出色だという事に変わりはありません。
エッジを効かせ、ヒネリを効かせて視聴者を強引に引き込もうという作品が多い昨今のアニメで、「奇をてらわない」この作品はむしろ目だっています。
やわらかな水彩画の様なタッチで統一された世界で、普通の世界に見放された中学生男女が必死に自分を探す姿を、淡々と描いています。
「差違」を肯定するのでもなく、否定するのでもなく、「ただそこにあるもの」として、等身大の中学生の視線で見つめています。彼ら、彼女らの戸惑いや、憧れが、視聴者にも理解出来るように、細心の注意を払って物語りは進行していきます。
■ 日本アニメの奥深さ ■
「放浪息子」の主人公達は、性同一性障害という個性と正面から向き合う事を強要されています。それゆえに彼らが真剣に悩み、そして少しの希望を大切にする姿が胸を打ちます。
日本アニメの奥深さを実感すると同時に、どれだけの子供達が、この作品を理解しているのかが気になったりもします。
twitterでは、この作品の登場人物に対し「キモイ」という書き込みが多いそうです。ちょっと悲しい気分になります・・・。