■ 「担ぎ屋台」って何 ■
房総半島には「担ぎ屋台」という文化が有ります。坂が多く、道の悪い南房総の村々では祭屋台を引いて廻る事が出来なかった様です。そこで、神輿の様に人が担いだのが「担ぎ屋台」の始まりです。
屋台は山車(だし)の別称で、平安時代の大嘗会(だいじょうえ)の標山(しめやま)が発祥の様です。山岳信仰の名残で山の形を模したものです。江戸時代の頃から、山車は華美なものになり、飛騨高山の屋台の様にカラクリ人形を飾ったりする様になります。
山を模した物が「山車」、屋根が付いたのもを「屋台」と分類する様ですが、実際には地域毎に両方を「山車」と呼んだり「屋台」と呼んだりするので、分類が明確な訳では無い様です。
一般的には「山車」や「屋台」は綱を付けて大勢で引いて移動します、南房総では前述したように人が担ぐ「担ぎ屋台」として現代に伝わっています。
■ 重さ1トンの「担ぎ屋台」を神輿の様に担ぐ ■
一般的には人形などを載せて静かに担いで廻る担ぎ屋台ですが、房総の鴨川市にある大浦八雲神社の担ぎ屋台は「神輿」の様に荒っぽく担ぐ事で有名です。天保4年(1833)の厳嶋神社御開帳で初めて披露された歴史ある屋台です。
八雲神社には天狗の様な人形も有るので、本来「担ぎ神輿」はこの人形を載せる物だったと思われますが、現在は太鼓の囃子手4人を乗せた屋台を60人程で担ぎます。重さは約1トン。女人禁制、男子は高校生から担ぎ手に加われます。
八雲神社の担ぎ屋台は「漁船」を模したもので、大漁旗で飾られています。担ぎ棒は3本と非常に不安定。それをユサユサと大きく揺すって担ぐ(もむ)訳ですから、担ぎ棒がドスンと地面に落ちる事も度々だとかで、その時に担ぎ手が上手く足を抜かないと怪我をするそうです。屋台に乗る囃子手はどんなに揺れても太鼓の手を止めてはいけません。
大浦にはかつて4基の担ぎ屋台が有ったそうですが、現在は1基のみが祭りに参加します。
かつては担ぎ屋台のみで神輿が無かった八雲神社ですが、現在は白木の大型の神輿も祭りに登場します。御霊(みたま)はこちらに入れられています。この他に漆塗りの子供神輿と女神輿と思しき2基があるのですから、大浦の人達がどれだけ祭りが好きかが良く分かります。
鴨川漁港がある地域なので氏子は漁師さん達が多く、鴨川の合同祭に参加している他の6つの神社に比べて、大浦地区の盛り上がりは突出しています。とにかく地区中の老若男女が祭り装束で通りに出ています。漁師町だけにヤンキーやヤクザさんも多いのですが、「この日に目立たなくて何時目立つんだ!!}という気合がスゴイ。
神輿は鴨川漁港で休息していましたが、ふざけて海に飛び込む人も。さすが漁師。
今年の祭りは、9月12日の午後2時に宮出しでした。
木遣の後に担ぎ上げられた屋台は、グワンと境内を高速で旋回した後、ユッサ、ユッサともまれ、そして一転して慎重に鳥居を潜ります。鳥居の先は石段、そしてその先は狭くて急な下り坂です。ここを通り抜けるまでは、慣れた担ぎ手達しか担ぐ事が出来ないらしく、高校生達は担ぎたいのをジッと堪えています。
民家の軒先をかすめる様に、慎重に急坂を下った屋台は、旧国道に出た途端に、グワングワンと揺すられ、そして加速します。
屋台が山車と合流した所で興奮はピークに達します。ひとしきり揉んだ後に、なんと屋台を頭上に掲げます(サス、サシ)。
こんな事を祭りの開催中二日間もやっていたら体がガタガタになっちゃうんじゃ無いかと心配しましたが、担ぎ屋台は1時間程で休憩に入り、夜にマリーナで行われる7社合同のイベントまで休憩だそうです。見せ場の前に怪我人続出では困るでしょうから・・・。
房総地区の神輿は、木遣を歌いながら静かに担ぐものが多いのですが(もむ時は思いきりモミますが・・・)、鴨川大浦の担ぎ屋台はワイルドです!!
興味が有る方は是非、来年の祭りへGO!!