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これぞアニメ・・・『瀬戸の花嫁』

2016-07-19 03:09:00 | アニメ
 



■ 媚びた笑いと、媚びない笑い ■

私はギャグ漫画やギャグアニメが苦手です。それのみならず「漫才」なども苦手です。理由は真剣に考えた事が無かったのですが、アニメ『瀬戸の花嫁』を見て、「ああ、笑いには二通りの笑があるんだ」と気付きました。

吉本の芸人さん達はお客さんを如何に笑わせるかを日夜真剣に考えています。しかし、結果ととしてお客さんに「媚びる」事で笑いを生み出す傾向に陥りがちです。道化やピエロを例に取るまでも無く、人が無防備に笑う時、笑いの対象よりも自分が高い位置にある必要があり、自然と笑わせ側は低い位置に自分を置く事になります。この関係性が端的に表れているのが漫才だと言えます。「媚びた笑い」は「条件反射の笑い」と言い換える事が出来ます。無防備にガードを外された状態で何か予想外の珍事が発生すると反射的に人は笑ってしまいます。

一方、落語の笑いは「媚びない笑い」の部類に入るでしょう。噺家は「高座」に座り客を見下ろしています。客は笑いに来ていると言うよりも「噺家の芸」を鑑賞しています。確かに落語は人を笑わせる芸ですが、客の笑いは「拍手」の代替えであり、賞賛の現れとも言えます。落語における笑いは「条件反射の笑い」では無く、客と芸人の掛け合いであり、ある種の「ルールが存在する笑い」とも言えます。

この「媚びる笑い」と「媚びない笑い」というのは、マンガやアニメ、小説の中にも存在している様に感じます。ギャグ漫画と言えば赤塚不二夫の名前が挙がると思いますが、「不条理ギャグ」などと賞賛されがちな赤塚不二夫の笑は私には「媚びた笑い」のバリエーションの様に思えます。少年誌のギャグ漫画の多くはこちらの系譜に連なります。


対局にあるのは高橋留美子かなと・・・『うる星やつら』や『めぞん一刻』などの笑いは、ストーリーと不可分です。主人公が一生懸命になにかを達成しようとした結果が予想外であったりするのですが、そこに笑いが生まれる。それぞれのキャラクターがお決まりのパターンの反応や行動をするのですが、そのタイミングや効果が微妙にずらされたりする事でそこに笑いが生まれます。


「どちらの笑が優れているか?」という問題では無く、何となく笑いには2種類あるという程度の話ですが・・・。そして私がギャグ漫画や漫才にあまり興味を持てない理由は、「無防備」に笑えないから・・・かと。どうしうても作り手側の思考を探ってしまうクセがあるのです。だから条件反射で笑えずに、笑うタイミングを逃してしまうのでしょう。

■ 日本版の人魚姫、『瀬戸の花嫁』 ■

なぜギャグや笑の話をしたかと言えば、先日終了したアニメ『暗殺教室』の最終2話が素晴らしいという記事を書いたら、よたろうさんから岸誠二監督の旧作の『瀬戸の花嫁』を紹介されたから。

以前にも紹介されていたと思うのでうすが、その時は最初の3分位で視聴を辞めてしまいました。なんか古臭いアニメだな・・・と思って。(今回調べてみたら2007年の作品なので、古臭いのでは無く、実際に古いアニメだったのですね。)

今回は『暗殺教室』の監督という意識もあって1話をじっくりと観る事に。・・・なんとこの作品、傑作中の傑作でした。AAAをあげたい。

ここからネタバレ全開

夏休み、父と母と瀬戸内の島に遊びに来た中学生の満潮永澄(みちしお ながすみ)は、海で溺れた所を人魚に救われます。その夜、永澄の元を瀬戸燦(セト サン)と名乗る少女と、3人のヤクザが訪れ、父母共々半ば拉致されて連れて来られたのは、海の底にある「瀬戸内組」。

人魚の世界では人に正体を見られた人魚ら死ななくてはなりません。しかし、その掟を逃げる方法として瀬戸内組の面々が考えたのが「身内ならえぇー」という強引な結論。そこで燦と永澄を結婚させてしまえ!!となった訳です。

尤も燦を溺愛するオヤジは娘を嫁にやる気など毛頭有りません。機会を見ては永澄を亡きものにしようと企てますが・・・燦の決意の前に涙を呑んで娘の婚約を認めます。

婚約したとはいえ、未だ中学生の二人。埼玉の永澄の家に燦が一緒に暮らし始め、中学にも一緒に通う事に。(部屋は別、親と同居ですから健全そのもの)

ところが、クラスの担任は燦の父親、保健室の先生は母親、数学の教師は若頭、体育の教師も凶暴なサメといった具合に瀬戸内組の面々が燦を心配して学校に潜り込んでいます。(教育委員会に手を回して)

こんな具合で、永澄と燦の新生活が始まります。

■ 赤塚不二夫と高橋留美子を繋ぐ『瀬戸の花嫁』 ■

同名のマンガを原作とする『瀬戸の花嫁』ですが、物語の構造は『うる星やつら』に良く似ています。登場人物の設定もほぼ重なります。ドタバタした展開も似ている・・・。

ただ、アニメ版は「笑の瞬発力」はハンパありません。2秒毎に笑いのネタが連射される。この強引な笑わせ方は赤塚不二夫的ですが、話の基本構造やストーリーが重視される点は高橋留美子的。この異なる笑の要素を違和感無く繋げているのが岸監督の手腕かと。

■ アニメでしか出来ない「圧縮表現」 ■

特筆すべきは展開の速さと密度の濃さ。様々なアニメの表現がどんどん現れては消えて行くのですが、さながらジョン・ゾーンの「圧縮音楽」のアニメ版と言った所か。再構築という現代的表現様式に無自覚で到達した様な作品ですが、アニメだからこそ可能となった表現とも言えます。


■ 映画を意識した演出 ■

一見、子供向けのギャグアニメの『瀬戸の花嫁』ですが、各話のタイトルは、「極道の妻」、「指輪物語」、「天国に一番近い島」、「男はつらいよ」、「男はつらいよ」といった様に実写映画のタイトルが並びます。序盤は邦画のタイトルが多いのですが、中盤からは「来訪者(ビジター)」、「激突」、「鋼鉄の男」といったクセの有る洋画のタイトルが並びます。それぞれ各話の内容を良く表していてニクイのセンスです。

映画の影響はタイトルだけではありません。13話の「ある愛の詩」は、極道映画のオマージュですが、明らかに園子温を意識しています。いえいえ意識どころか、燦ちゃんの声優の桃井はるこの1999年の『Mail Me』のPVは園子温が監督していますし、園監督の『自殺サークル』内でこの曲が使われています。



OPなんて完全に園子温のノリですね。これ桃井はるこが作詞・作曲・編曲ですね。

こちらは園監督の『地獄でなぜ悪い』の挿入歌「全力歯磨き」


ところで2013年に公開された『地獄でなぜ悪い』はヤクザ映画ですが、私の頭の中では『瀬戸の花嫁』とモロ被りな感じがします。(ストーリーは全く違いますが、表現の仕方が似ているというか・・・)

■ 各キャラクターの魅力が、このハチャメチャなアニメを支える ■

本作を見なければそのハチャメチャさの程は分かりませんが、ともすると「勢いだけの雑な作品」に成りがちな要素を上手く支えてうるのが各キャラクターの魅力。特に主人公の燦ちゃんの可愛くも芯の通ったキャラは嫌いな人は居ないのでは。

瀬戸内組の面々も、クラスの友達も、恋のライバル達も、皆個性的な魅力に溢れています。

■ これは一種の「奇跡」なのだろう ■

『キルラキル』や『健全ロボダイミダラー』など、昭和40年代のテーストのギャグアニメが最近出始めましたが、妙にスタイリッシュです・・・。それに比べて『瀬戸の花嫁』は「どストレート」な表現ですが、その潔さがこの作品の魅力でもあります。

ただ、「歌対決」のシーンで変身バンクがあったりと、現代アニメのツボはしっかりと押さえています。とにかく、現代のアニメの表現様式を全部強引に突っ込んで闇鍋状態になっています。

そんな力技の作品ではありますが、何故か「奇跡的に面白い」。そして最後は感動の嵐。


製作は GONZOですが、意欲が空回りして駄作が多い GONZO作品の中ではダントツの出来栄えです。「 GONZOの軌跡」と呼ぶ人も居るとか・・・。


ちなみに岸誠二監督は

天体戦士サンレッド
神様ドォルズ
人類は衰退しました
ダンガンロンパ
暗殺教室
乱歩奇譚

などが有ります。幅広い表現をそつ無くこなす職人的な監督の様ですが、『天体戦士サンレッド』は笑えます!!