■ 「信用創造」こそが「過剰債務」の現況?■
池田信夫氏がブログが過剰債務と信用創造の問題点を指摘する書籍を照会しています。
「政府の過剰債務の原因は、1990年代のバブル崩壊から始まった民間の過剰債務だった。それを生み出したのは、決済機能という公共インフラを私的な銀行が独占して通貨を増殖させる信用創造というシステムだ。そのリスクは財政ファイナンスより大きい、というのが著者の警告である。」(池田信夫ブログより引用)
このブログでも「信用創造」システムの問題点はリーマンショックの直後から何度も指摘していますが、陰謀御界隈では既に常識となっています。
■ お金は誰から借金によって生み出される ■
私達が便利に使い、喉から手が出る程欲する「お金」ですが、これが何から生み出されるか考える人は少ない。せいぜい、造幣局が輪転機を回して印刷している程度の概念しか無いでしょう。
1) 誰かが銀行にお金を預ける
2) 銀行は法定準備率で定めた準備予期を中央銀行に預ける(現在の日本は0.05〜1.3%)
3) 準備預金以外の預金は、誰かに貸し出す事が出来る
4) お金を借りた人が利益を上げたり、賃金として支払ったお金は銀行に預金される
5) 預けられたお金は、準備預金以外は再び貸し出す事が出来る
卵が先か、ニワトリが先かの話に似ている気もしますが、「誰かの借金が通貨を生み出している」点が面白い所
一般には「マネーサプライ」と呼ばれるシステムですが、中央銀行が最初に発行した通貨(マネタリーベース)は、マネーサプライの連鎖によって、どんどん増殖して行きます。
「信用創造システム」は大昔の金を預かるユダヤ人が考え出したそうです。
■ 「過剰債務」を生み出す「信用創造」 ■
冒頭で引用した池田氏の文章では、「民間の過剰債務」がどうして「政府の過剰債務」を生み出すのか良く分かりません。
多分、こんな内容なのかと妄想します。
1) 金融システムと、肥大化した資産システムは、見せかけの利益をチラつかせる
2) 利益を欲する人々や金融機関が資産市場に過剰な投資をする
3) 資産市場に投じられる資金の多くは「信用創造」によって生み出される(レバレッジ)
4) 「信用創造」のサイクルが過度に回る事により「過剰債務」が生まれる
5) 「過剰債務」によって資産市場がバブル化する
6) バブルが崩壊して「信用創造」のシステムが逆転して「信用収縮」が加速する
7) 「信用創造」で生み出された「幻の利益」は、「信用収縮」の過程で「損失」に代わる
8) バブルの規模が大きい程、「損失」の規模が大きくなる
9) 金融機関が危機に瀕し、「政府が資本注入」で救済する
10) バブル崩壊後の民間需要の不足を補う為に、公共投資が拡大する
11) 政府の債務が拡大し、これは国債で賄われる
12) 財政赤字が拡大する
■ 問題の本質は肥大化し過ぎた金融市場や資産市場 ■
金融市場や資産市場が今程発達していなかった時代は、バブルが発生しても局地的な現象でした。
しかし、金融革命と呼ばれた1980年以降、バブルの規模は拡大し、国境を越える様になります。「債権の証券化」という技術によって、「誰かの借金が金融商品として売り買い」される時代が到来したのです。
1) 住宅ローンや、カーローン、クレジットなど誰かの借金が集められ「証券化」される
2) 「証券化」された誰かの借金は「金利の付く商品」として売り買いされる
3) 「証券」は国境を軽々と越えて取引される
4) 市場はより多くの商品を求め、より多くの「債務」を求める様になる
5) 「債券」を生み出す過剰な貸し出しが横行する
4) 「証券」がさらに合成されて新たな金融商品(デリバティブ)が作られる
5) CDSの様に「確立に投資する金融商品」が無から合成される
こうして本来借金する事が難しいサブプライム層や、信用力の低い企業に無理に貸し出された資金は、やがて返済が滞り、「債券」や、それを元にした「証券」やその他の「金融商品」の価値棄損します。
■ 過剰な投資を政府が抑制しても、金融資本家に骨抜きにされる ■
この様な金融市場のピーキーな活動の危険性を、アメリカも良く理解しています。
アメリカでは世界恐慌の反省から、1933年には既に過剰な投資を抑制す為に商業銀行と投資銀行を分離する「グラス・スティーガル法」が制定されています。
しかし、1981年からなし崩し的にグラススティガル法が廃止され、商業銀行が投資銀行の分野の参入して行きます。預金が投資という鉄火場に投じられて行くのです。そして、その末路がリーマンショックでした。
ところが、リーマンショックの結果、投資銀行はゴールドマンサックスを除いて全て商業銀行の傘下に入ってしまった・・・。これはグラス・スティガル法の精神の全く真逆です。巨大な損失を抱え経営破綻に陥った投資銀行ですが、アメリカ政府は商業銀行した救済しないと宣言します。結果、投資銀行が商業銀経に吸収される形で、その負債も商業銀行に負債に付け替えられ、議会は商業銀行を税金で救済します。
その後、リーマンショックの反省を兼ねてトッド・フランク法を強化する形でボルガールールが施行されます。米国の商業銀行に対して、ヘッジファンド等への出資を禁止したり、自己資金による高リスク商品への投資などを制限するものとなっています。
しかし、トランプ政権になって、ボルガールールの一部廃止する法案が成立し、さらにボルガールールを緩和する法案も検討されています。
この様に、世界恐慌の直後から、銀行の過剰リスクに対する規制が検討され、そして金融界のロビー活動によって規制は緩和される事が繰り替えされています。
■ 自体経済を圧迫する金融市場 ■
銀行や金融市場の本来の目的は、お金を借りたい人と、お金を貸したい人をマッチングさせる機能です。ここでは、小口の預金者もお金を貸したい人に含まれます。
金融市場の発達も、本来の目的は国境を越えて迅速に資金需要を満たす事に寄与するハズでした。
しかし、実際には金融市場は訳の分からない金融商品を売り買いして目先の利益を漁る「鉄火場」と化してしまいました。そして何度もバブルを生み出しては、崩壊を繰り返します。
バブル崩壊が欲に目の眩んだ人達の損失だけで済めば問題無いのですが、その影響は実体経済にまで及びます。バブル発生時は資金需要が旺盛なので金利も上昇します。これは民間企業の借り入れコストの増加となりますが、バブル崩壊後は、金利負担が民間企業の経営を圧迫します。
又、バブル発生時には不動産の価格が上昇しますが、この時期にマイホームをローンで購入した人達は、バブル崩壊後に、返済に窮する事になります。
大きな損失を抱えた金融機関は貸し出しの基準を厳しくします。その結果、中小企業の借り入れコストが高止まりして、経営が悪化してゆきます。
■ 銀行が無くなれば問題は解決するのか? ■
短絡的な人達や、金融資本家の手先たちは、「過剰債務を生み出す銀行システム(信用創造システム)こそ諸悪の元凶だ)と言うかも知れません。「銀行は決済機能だけになれば良い」とか、「フィンティングの時代に銀行は不要だ」とも言われ始めています。
では、フィンティングの時代に、街中の個人商店はどうやって資金調達すれば良いのでしょう?経営状況をどこかのサイトにアップしたら、適当な金利で資金を調達できるのでしょうか?
私は銀行不要論は本末転倒だと感じています。規制すべきは過剰な金融市場や資産市場のハズで、ここの健全性が担保されない限り、何度でもバブルは発生し、その規模は拡大して行きます。
政府の過剰債務の原因は、信用創造システムと銀行に有るのでは無く、人々の欲望にこそ有るのでは無いか・・・。
サマーズは「米経済は1980年代から成長の限界に達しており、バブル無くしては成長もイノベーションも起こらなかった」と語っています。確かに、この主張にも一理ある。人の果てしない欲望は、痛みを伴いながらも、科学や社会の発展という果実を生み出しているのかも知れません。
<追記>
老人や個人から小口の預金(貯金)を集め、それを地域経済に融資するのでは無く、アメリカのリスク市場で運用する「ゆうちょ銀行」は、まさにグラス・スティーガル法が規制した銀行の姿そのものとなっています。
地方経済の衰退の一因はゆうちょ銀行に有ると私は考えています。本来、信用組合や中小の地方銀行に預けられれば地域経済の為に融資されたかも知れない資金が、海外に投資されてしまう・・・。
まあ、地域経済が衰退するから中小地銀の経営が悪化するというのも正しくて、彼らも通常の貸し出し業務では生き残れない状況ですが。
1980年代以降、アメリカでは地銀が淘汰されてバンカメやウェルズファーゴに収れんし行きますが、同じ事が日本でも起きるのでしょう。
次回は「過剰なレバレッジを掛けなければバブルは崩壊しないのか」という問題を妄想したいと思います。