■ 菅官房長官が、最近の感染拡大は「東京問題」と発言 ■
菅官房長官が北海道千歳市内での講演で、「この問題は圧倒的に東京問題と言っても過言ではないほど東京中心の問題」と発言した。
これ、「東京で感染者が増えているから問題だ」では無く、「東京都が無意味にPCR検査を増やして無症状の感染者を焙り出しているのが問題だ」と言っている事を理解出来る国民は少ない。
「東京の問題だ」では無く「東京が問題だ」或いは「小池百合子が問題だ」と言っている。
■ 第二波を演出しつつ、再び国にケンカを売る小池都知事 ■
私は小池都知事を国家と経済へのテロ行為を行うテロリストと認定していますが、彼女の攻撃性は収まる所を知らず、再び国に矛先を向け始めた。
「GO TOキャンペーン」は首都圏の感染を全国に広げる愚策・・・こう国を非難し始めたのです。
確かに緊急事態宣言が解除され、人々の活動が活発になったので感染者が増えていますが、その殆どは無症状の若者で、多分、現在と同じ規模のPCR検査を3月、4月に実施していれば、現在など比べ物にならない数の陽性者が見つかったでしょう。陽性者のグラフなど全く当てになりません。単に、検査数を反映しているだけです。
夜の街にガサ入れするかのごとき集団PCR検査で陽性者を増やして来た東京都ですが、検査対象を拡大したら、夜の街関連は全体の20%程度に過ぎなかった。これをして「夜の街からだんだんと一般の方々にも感染が広がっている」という印象操作をしていますが、夜の街より満員電車の方が余程危険でしょう。密着してますもん・・・オヤジ同士が・・・。
さすがに西村大臣もキレて「もう誰も緊急事態宣言なんて望んでいないんです」って言っちゃったら、これをワイドショーが叩く叩く。
確かにテレワークで動画観てたサラリーマンは、「緊急事態宣言、また出ないかな」って「二度目の夏休み」を欲する小学生いたいな望みを抱いているでしょうが、世の中甘くはありません。次は永遠の休暇があなたに訪れますように!!
■ まともな事がまともで無い世の中 ■
れいわ新鮮組の大西つねき氏が、非常にマトモな発言をして、大バッシングを受けています。
<引用開始>
IWJ より
大西氏は動画で、「高齢者を長生きさせるのかっていうのは、我々真剣に考える必要があると思いますよ」と語った。その理由を「介護の分野でも医療の分野でも、これだけ人口の比率がおかしくなってる状況の中で、特に上の方の世代があまりに多くなってる状況で、高齢者を……死なせちゃいけないと、長生きさせなきゃいけないっていう、そういう政策を取ってると、これ多くのお金の話じゃなくて、もちろん医療費とか介護料って金はすごくかかるんでしょうけど、これは若者たちの時間の使い方の問題になってきます」と述べた。
さらに「こういう話、たぶん政治家怖くてできないと思いますよ。命の選別するのかとか言われるでしょ。生命選別しないと駄目だと思いますよ、はっきり言いますけど」と、生命の選別を肯定。そして「何でかっていうと、その選択が政治なんですよ。選択しないで、みんなにいいこと言っていても、たぶんそれ現実問題としてたぶん無理なんですよ」と、それが政治であると言い放った。
結論として、「だからそういったことも含めて、順番として、その選択するんであれば、もちろん、高齢の方から逝ってもらうしかないです」と、高齢者に先に死んでもらうしかないと明言したのである。
<引用終わり>
確かに政治家としては配慮に欠ける発言ですが、内容は真っ当で、これから日本人が選択を迫られる問題です。
多分、老人が最大の政治勢力となっている日本で、高齢者医療や年金、福祉に正面からメスを入れれば政権が飛びますから、厚労省はこっそりと、徐々に、制度変更を行っていますが、ペースが遅い為に、高齢者の逃げ切りを許す結果となっています。ただ、団塊の世代以降は逃げられません。現在50代の私達などは、一番損をする世代。
世代間格差を脇に置いておくとして、「高齢者をさらに長生きさせる」事が正しいかどうか、倫理の問題として、社会全体で考えるべきですが、儒教思想の影響の強い日本では「年寄りは大事にするもの」と信じ込んでいますから、「高齢者は逝ってヨシ」的な発言は社会のタブー。
だから、大西氏も「ナチスの優生学か!!」的な批判を浴びています。
■ ゼロリスクの迎合するポピュリズムが日本を支配する ■
仕事では「リスク・リターンの計算は大事」などと恰好付けている人達も、いざ命が絡む問題となると「人の命は地球よりも重い」なんて事を言い出します。
その結果がコロナ騒動であり、日本の衰退である事にも自覚的ですが、表立って「高齢者は逝ってヨシ」とは言えない。
そして、コロナで肺炎になって徐々に酸欠で眠る様に「大往生」を迎える事ができるハズだった90歳のおばーちゃんが、人工呼吸器に繋がれ、高圧の酸素で肺がボロボロになり、訳も分からない薬の実験台にされている。そこに命の尊厳は微塵も有りません。
「ウイルス感染による死」は古来より脅威でしたから、社会はウイルスを徹底して恐れます。そして「ウイルス感染のより死」はあってはならない物となり、人々は「ゼロリスク」を求める。
この恐怖の意識を上手に利用して、小池都知事は再び都知事の座を射止め、さらに国を攻撃する事で、国政への野心をのぞかせています。堕落した民主主義の時代に最も適応した政治家の一人である事は確かです。