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静岡のお茶と清水港の歴史 その二十八 旧国鉄清水港線 (フェルケール博物館展示など)

2021-07-15 12:38:12 | 専用線、廃線、歴史を辿る

こんにちは  2021年7月15日の木曜日です。

清水港の歴史   表紙はフェルケール博物館展示の旧国鉄清水港線

清水駅ホームは東海道本線と少し離れたところにあったのですね。

背後の街並みは、左に「丸井」奥には「西友」が。  調べたら丸井は1969(昭和44)年開店とのこと。

現在の清水駅  清水港線の面影は全くありません。

混合列車牽くDLの姿を一度見たかったなぁ。

清水港線は清水駅から三保松原で有名な三保まで結ぶ延長8.3キロの鉄道路線でした。

1944(昭和19)年7月1日に清水埠頭駅から三保駅まで開業し、この際に清水港線となりました。

太平洋戦争の戦況が激しくなったこの時期、軍事物資への転用のため、鉄道レールが

はがされる路線が多くあったなか、あえて開業させるということは清水港線が軍需路線だったことを

物語っています。日本一の黒字路線になった時期もありましたが、その後のトラック輸送の普及に伴い

貨物輸送は減少の一途をたどり、1984(昭和59)年3月31日をもって廃止されました。

上の写真は

1947年 国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より 

戦争で清水港周辺も甚大な被害を受けました。この年から港湾施設の本格的改修工事が始まります。

こちら1961年 国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より 

海岸線はまだスッキリしていますね。

この5年後に興津第1埠頭、その2年後に第2埠頭の供用が開始されました。

昭和40年代からはコンテナ輸送への移行を速やかにおこない

国内有数の輸出港へと発展し、高度経済成長期の日本での重要な

物流拠点となっていきました。

1993年 国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より 

20世紀後半から世界的に海上コンテナの輸送量が拡大している中

清水港は日本における国際輸送の重要拠点として「国際拠点港湾」に指定されています。

(フェルケール博物館展示)

昭和3年に設置されたテルファー  接岸する貨物船の積み荷を吊り上げ、

レールで移動し貨物列車に積み込みました。

テルファー付近は現在エスパルスドリームプラザ

5月9日の日曜日は吹奏楽のイベントもあり、憩いの場になっております。

「いいね!」ありがとうございます。

 

 

 


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