久々に震えるような小説を読んだ。この手の純文学は今は嫌かな、と少し敬遠気味だったけど、気取ったつまらない小説ではなく、これは純粋文学作品(純文学ね)だから、いい。2歳で棄てられて、施設で育った少女が18歳になり、高校を卒業し施設から出なくてはならなくなり、仕方なく自立して暮らし始める。だけど、定職は持てず、臨時職員の採用しかない。20代になり、今も臨時雇用で地域振興課の職員として働いている。あと3か月で雇用期間は切れる。延長はあるかもしれないけど、最長は3年。
こんな不安定な生活はどこまで続くのか。未来はない。そんな彼女が母子手帳を拾う。自分と同じ名前の女性の。しかも、自分と同じ生年月日の。ありえないことだろうが、そんな偶然が起きた。ファンタジー小説のような設定だ。だけど、そうじゃないから、この偶然とリアルに向き合う。彼女が産んだ娘の名前は糸。自分が捨てられた時よりもまだ幼い赤ん坊だ。
松島ひかる。それがふたりの名前。彼女はもうひとりの自分(もしかしたら、そういうふうにして子供を産んで育てているかもしれない幻の自分)を追いかける。ベビーカーを押す彼女の後をつける。13階建てのマンションに彼女は入った。ついていくことはできない。5階よりは上の階に住んでいることはわかった。
お話はそこで終わりだ。それ以上の追跡は描かれない。そうじゃなく、その後には喉の病気で病院に行き、後1日来るのが遅かったなら、死んでいたかもしれないと言われる、というお話が綴られることになる。ただの風邪で喉が痛むのだと思っていた。入院して手術する必要があると言われる。だけど、彼女は「お金がないから無理です」と医者に言う。死ぬしかないのか、と思う。
絶望的な現実がそこには横たわる。母親が自分を棄てたから、と恨むのではない。2歳まで(棄てられたときに母子手帳が添えられていた。そこには2歳までの記録がある)は、母親と生きていたという記録(記憶ではない!)だけが、生きるよすが、だった。そして、これからだってそれくらいしかない。でも、それだけで生きていく。
唐突な終わりがとてもよかった。何も終わらないし、ここから何かが始まるわけでもない。ここまでこうして生きてきた。これからもこんなふうにして生きていくしかあるまい。死ななかったのだ。たまたま。それは職場の編集長が病院を紹介してくれ、すぐに行くように予約をしてくれたから、(だけ)ではない。いろんな要因があり、彼女は生かされたと思うしかない。作者は何もいわない。その事実だけをここに記す。同姓同名の女性との話から一転して、喉の痛みの話へと繋ぎそのまま終わる。
この本には、太宰賞を受賞したこの作品と、もう1作『彼女がなるべく遠くへ行けるように』が収められてある。こちらも不思議な話で、しかも同じようにお話にはオチがない。同居させてもらっていた遠い親戚の祥子さんが失踪した。主人公の女性のひとりになった後の時間が描かれるのだが、最後まで祥子さんは戻ってこないで終わる。特別なことが何もないので、なんだか反対にざわざわする。