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映画・演劇のレビュー

河合二湖『深海魚チルドレン』

2012-02-16 23:43:23 | その他
 こんなにもささやかな話で、1本の小説を綴るなんて、あまり例はないのではないか。しかも、それを気負うことなく、ありのままに見せていく。でも、それはささやかなドラマではない。本人にすれば重大事で、今直面している事態を乗り越えられないのなら、生きていけないと思うほどのことなのだ。それを大人は何を大袈裟な、と言う。たぶん。でも、それは人事だから言えることで、もし自分がそうであったなら、毎日は地獄だ。

 中学1年生の真帆が主人公だ。彼女は自分の「尿意」と戦う。授業の50分間が耐えられない。たかが、尿意、だなんて誰にも言わさない。13歳の少女にとってそれはとても重大なことで、憂鬱の原因なのだ。膀胱が破裂しそうで、我慢ができなくなる。人が聞いたら笑うかもしれない。でも、もうそれだけですべてが嫌になる。生きていくのすら嫌だ。逃げ場はない。教室では目立たないようにしている。というか、余裕がないのだ。中学になり、新しい友達を作り、楽しい日々を過ごすはずだったのに、彼女にはそんなことはできない。たった50分の授業を終わらせることだけで、精一杯になっている。しかも、それはただ尿意との戦いなのだから。

 誰にも打ち明けられない孤独な心情を描く小説なんて、どこにでもある。だが、その原因をこんな風に具体化して、そこから始まるドラマを作るなんて、ありそうでなかなかなかったはずだ。真帆はこの秘密を打ち明けられない。お母さんにも言えない。友達になんか言えるわけもない。大体彼女は中学に入って新しいクラスでうまく友達を作れなかった。いつもひとりだ。

 丘の上にある市民文化センター。その向こう側の丘を下ったところにひっそりとある喫茶「深海」。そこから始まる。偶然そこに行く。いつもの尿意から、トイレを借りるためだ。そこで出会ったナオミとユウタ。そして2人のお母さんである素子さん。ここにいれば彼女は落ち着く。他人が自分のことを理解してくれない。そんなこと、当たり前だ、と思えるくらいに強い心が持てたならいい。だが、それは難しい。まだ13歳の子供ならなおさらだろう。もう十分あきらめている。でも、どこかに期待している自分がいる。当たり前だ。そんなに簡単にあきらめるべきではない。いつも元気で活発な母親にはわからない。その事実もショックだ。だが、仕方ない。

 喫茶「深海」に行けば自分の居場所がある。その事実が彼女を強くする。結局そういうことなのだ。だが、ここが絶対の場所ではない。小さくて壊れそうな子供たちが、それでもしっかりと生きていく。人生はまだ、これからだ。簡単じゃないことは、今までの経験からでも充分にわかっている。でも、生きる場所はある。深海魚は深海でしか生きられないけど、そこでならしっかりと生きられる。そんな当たり前のことを支えに生きなくてはならない。

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