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映画・演劇のレビュー

『ふたつの部屋、ふたりの暮らし』

2022-04-22 13:48:19 | 映画

冒頭のふたりの少女が並木道でかくれんぼをするシーンが美しい。ふたりの着る白と黒のワンピースが象徴的だ。さらには、消えた少女を探し、叫ぶもうひとりの少女の声がカラスの鳴き声になる不気味さ。映画全体を象徴する悲しいプロローグである。このシーンの後、すぐに本編に入る。ふたりの少女ではなく老女の日々を描く映画が始まる。

だが、ここからの展開は意外だった。僕は勝手にもっと穏やかで静かな映画なのだと思っていたから、これがかなり過激で、強烈な映画だったということに驚く。70代のふたりの女性、ニナとマドレーヌ。同じアパルトマンの向かい合う部屋で暮らしている。ふたりはずっと愛し合っていたし、ここを離れローマで一緒に添い遂げ暮らそうと計画していたのだが、マドレーヌは自分たちがレズビアンだということを家族に打ち明けられず苦悩していた。そんなある日、彼女が脳卒中で倒れて、入院することになる。

人生の最後を幸せに暮らしたい。自分を偽らず心のままに生きたいと望んだ。だけど、周囲の目や家族のことが気になり、心は千々乱れる。彼女が倒れたのは子供たちに自分の性情を訴えきれなかったことも原因だ。心の安定を損ない、記憶と言葉を失う。

映画はここからニナの行動がお話の中心を担う。彼女は大好きなマド(マドレーヌのこと、ね)のために奔走するのだが、その行為はどんどんエスカレートしていく。見ていて、これはいくらなんでもやりすぎではないか、とドキドキさせられる。そんな彼女の想いの暴走を止められるものはない。見ていて痛いし、それはだめでしょ、と思うけど、容赦ない。だが、あるレベルを超えてしまったとき、犯罪スレスレ(いや、もう十分犯罪だけど)のレベルまで行くのだが、その先に光が射す。映画のラストでは崇高な気分にさせられる。すべてを知った娘や、とんでもない介護師による行為なんかも、もう乗り越えてふたりの想いは奇跡を生む。

これはそんなふうに激しすぎる映画なのだ。愛する気持ちがすべてを超越する。老人だから、静かに余生を過ごせばいい、なんて勝手なことを言わないで欲しい。激しい恋心を持っていいのは若者だけではない。いくつになろうとも、恋は美しいし、恋心は永遠だ、なんて思わされるくらいに革命的な映画だった。


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