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映画・演劇のレビュー

伊与原新『オオルリ流星群』

2022-04-23 09:37:57 | その他

高校3年生の文化祭で空き缶タペストリーを作った。幅10メートル、高さ8メートル。1万個の350ミリ缶をつないだ。あれからもうすぐ30年になる。40代後半になり、人生の折り返しを過ぎた。思ったような人生にはならない。あの時の仲間たちが故郷に戻ってくる。東京で暮らしていた者、ここでずっといた者。東京に出たけど、19歳で自殺した者、仕事を辞めて実家に戻り、3年間、引きこもりしている者。国立天文台の研究員をしていた彗子もこの町に戻ってきた。

背景となるのは、田舎と東京というよくある図式。でも、お話の舞台は神奈川県秦野市とある。近いじゃないか、と思う。「秦野市というのは架空の町なのか?」とも思ったがそうではなかった。「どこだ?そこは」と思い調べた。確かに微妙な位置だ。

28年。もう6人で仲間が集まることはない。死んだ者とひきこもる者を除く3人が手作り天文台を作ろうとする彗子を助けようとする。やがて彼女の夢がみんなの夢になる。甘い話かもしれないけど、こんな冒険をもう一度したいと思う。高3の夏、出来るはずもない夢を追った。あの興奮をもう一度。もちろん、あの頃と今とでは事情は違う。大人になり、仕事もあるし、家族もいる。でも、このまま老いていくわけにはいかない。いろんなことをあきらめて静かに余生を送るのがふつうの生き方なのかもしれない。高校時代、彗子に助けられた。彼女がいなければ、あのタペストリーは出来なかった。冷静に状況を見極め、対応する彼女の姿が彼らには今も眩しい。もしかしたら、またあの日にような奇跡が起きるのではないか、と思ったのかもしれない。今度は彼女を自分たちが助ける番だ、なんて思ったのかもしれない。もちろん、本当はまた彼女に助けてもらいたいと思っている。だってみんな、今の状況に行き詰まり、苦しんでいるのだから。

これはありえないような挑戦だ。仕事の片手間に出来ることではない。でも、可能な限り手助けする。というか、あの頃のようにまたみんなで集まり、一緒に「何か」を成し遂げたい。そうすることで、新しい未来が開ける、のではないか、と思う。お話自体はちょっとしたハートウォーミングだが、そこに現実と冷静に対応していく彗子を核として置くことで、お話はただの甘い夢物語から、リアリティのあるお話へと変貌する。

18歳の頃夢見た未来は、もうない。でも、あの時だって夢だけを見ていたわけではない。それどころか、今以上に苦しんでいたかもしれない。45歳という微妙な年齢になり、そこから新しいことをスタートさせるのは困難を極める。だけど、彼らはそれぞれの立ち位置で挑戦する。自分にできることをする。その時助けてくれるのがあの頃の仲間だったならいい。やはりこれはある種の夢物語だ。でも、こんな夢を信じたい気もする。この小説の中で、天文台はみんなの力で完成したのだから。あの夏と同じようにこの夏がある。これはそんな奇跡の物語。


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