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映画・演劇のレビュー

村田喜代子『故郷の我が家』

2016-01-13 22:27:24 | その他

これは2010年に出版された作品で、実はその当時に一度読んでいる(はず)。でも、もう一度、今読んだことで、あの時とはまるで違う風景が見えてきた。たった5年でいろんなことが、変わったのだ。そのことに驚かされた。これを今読んだのはたまたまだ。実を言うと、読んだことを忘れていて、図書館で見かけて、あっ、村田喜代子の新刊、と思い、借りてきた。読み始めて初めて、思い出した。しかも、かなり、読んでからである。(もう、情けない)

だが、読み出したら、止まらなかった。この短編連作が、今の自分の母親の毎日と重なってきた。(先に、『長いお別れ』を読んで、認知症をあんなふうに描く中島京子の優しさにうれしくなり、思わず母親にも読んでもらった。彼女はとても気に入ってくれたようで、それもうれしい。実は、調子に乗って次は母親にこれを読ませるか、と思い、読み始めたのだが。もちろん、この小説はうちの母には難しいし、これはダメだ。)

ここに描かれるのは、母親ではなく、あと少し先にいる僕自身だと気づく。主人公は65歳のひとりぐらしの老人。彼女は母親を亡くし、彼女が暮らしていた九重山の大きな家を処分するため、しばらく故郷である我が家で暮らすことになる。(不動産屋が買い手を連れてくるから、その時、ここを案内するために滞在する)そんな1年間ほどの山での一人暮らしが描かれる。(今では自分と一心同体の犬の「フジ子さん」が一緒だけど)

寝ている時間と起きている時間とでは、寝ている時間のほうがリアルで、起きている時間は静かで単調で、でも、そんな毎日が嫌ではなく、それを彼女はちゃんと楽しんでいるのがすばらしい。起伏のないお話に、彼女の記憶の風景が重なり、それらが渾然一体となり、夢をつくる。夢の中では、ドラマチックなことがたくさんある。すべてのエピソードが(たぶん)夢のシーンから始まったのではないか。彼女の中では夢と現実は同じようなものなのだろう。それって、村田喜代子のデビュー作(じゃないかもしれないけど、僕が最初に読んだ彼女の本)『鍋の中』のおばあちゃんじゃないか。なんだか、懐かしい。遠い昔に読んだ本だ。(後日、と、言っても、これもずっと昔だが、黒澤明が『八月の狂詩曲』として、あの小説を映画化しているけど、エネルギッシュな黒澤は原作の持ち味を生かせなかった。)

村田喜代子は自分が実際に老人になって、今の自分の心境をここで語ったのだろうか。そんな小説を読んで、僕は自分もまた、あと少しで老人になるのだ、ということを実感する。今、毎日年老いた母親を見て、先日、娘が孫を産んで、実際に「おじいちゃん」になってしまって、なんだか、急に自分が老いた気分になっている。まだ50代の後半でしかないから、十分に若いのになんだよ、とも思うけど、「老い」の問題をいろんなことを通して考えるのは悪いことではないはずだ。もうすぐ、自分もそこにいく。これはその時のための準備にもなる、なんてね。


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