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映画・演劇のレビュー

『その街のこども 劇場版』

2016-01-13 22:30:01 | 映画

6年前TVで放送されたドラマである。NHKが「阪神淡路大震災15年」を祈念して作った作品で、当時少しTVで見た。(ちゃんと、ではなく、ななめ見程度で、)これはそのTVスペシャルを完全版にして劇場公開した作品だ。TVより20分ほど長い。両者の差異はわからないけど、今、この作品を見ながら、15年からさらに6年過ぎた今、この作品に描かれる現在すら遠い、と思う。

3・11からも今年で5年になる。僕たちはいったいどこに向かっているのだろうか。そんなことを考えながら、この映画を見た。もうすぐ、あれから21年目の1月17日がやってくる。この作品の「15年後の少年少女」は、さらに6歳、年を取っている。

彼らは偶然出会い、震災から15年後の1・16から17の神戸を歩く。その日のz前日の午後から、当日のあの時間までの物語。まだ、夜が明ける前の5時46分。彼女は三宮の「追悼のつどい」が行われる東遊園地に行く。彼は広島に行くために反対方向へと向かう。なんでもないのに、さりげないそのラストシーンが胸に痛い。DVDを見ながら、泣きそうになって困った。何を感傷的になるのか、と自分に言い聞かせる。

新幹線の車中から始まる。彼(森山未來)は仕事で東京から広島に向かう。高層マンションのプレゼン(耐震にも気を付けた?)のためだ。だが、新神戸で見知らぬ彼女(佐藤江梨子)が降りた。それを無意識に追いかけて自分も降りてしまう。お話はそこから始まる。

ふたりの見知らぬ男女が、神戸の街を歩く。震災後この街を離れて、今では遠くで暮らしている。でも、彼らはこの街の子供だった。そして、あの震災を体験した。今では、遠い記憶になっている。ふだんは忘れている(忘れたフリをしている)。だが、ときどき、胸が痛い。だから、忘れてはいけないのだ。(というか、忘れてなんか、いないのだ!)知らない者同士。ただの他人でしかない。でも、同じようにあの震災をくぐり抜けてきた。

深夜の三宮から御影に向けて歩く。もう電車もない時間だ。彼らはタクシーは使わない。あの日のように、交通手段がない状態で、過ごす。(そこには彼女の祖母の家があるからだが、翌朝には追悼式に出たいので、荷物を置くだけでまた、三宮に歩くことになる。)

その通り道だ。自分たちが住んでいた街にやってくる。あの時、死んでしまった友人の家に15年ぶりに行く。最初は遠くから彼女の住んでいたマンションを見るだけでいい、と思った。でも、深夜に灯りがついている。彼女の父親が起きている。この夜、彼女の父親が寝られるわけはない。失ったものは帰ってこない。

まるでドキュメンタリーのように淡々と描かれる。ドラマ仕立てではない。彼らに実際歩いてもらい、それをカメラに収めた。彼はまるで傍観者のように彼女につき従う。今はまだ、彼はそれ以上の関わりはできないからだ。彼女に、距離を置いて寄り添うしかない。もし、あと1年したら、ちゃんと横に立てるのか。わからない。でも、この短い時間を通して、彼はもう一度神戸とむきあうことができた。それだけでいいのだろう。


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