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映画・演劇のレビュー

空の驛舎+北村想『DOWMA ~二人の女優による「ドグラ・マグラ」~』

2014-10-13 10:36:38 | 演劇
 堂々のエンタメ芝居なのである。だが、ただのエンタメではない。北村想が空の驛舎のために書き下ろした新作である。しかも、夢野久作『ドグラマグラ』の舞台化作品だ。もちろんただの脚色ではない。想さんの世界観が反映されている。特に演劇論を展開していく部分は、白眉だ。しかも、そのシーンが作品にとってあまり関係ない。インターミッションのような役割を果たす。どうなっているのだ、と思う人も多々あるだろう。だが、それこそ想さんの独壇場だ。逸脱、脱線こそが命。と、ばかりにとんでもなく力が入っている。しかも、演出はそこでちゃんと肩の力が抜ける。ここで力を入れるのはヤボだからだ。そのへんの呼吸の妙が素晴らしい。

 演出の空ノ驛舎は北村想のねらいをちゃんと理解している。あうんの呼吸で、進展していくのが、見事。2時間の長編に緩急をつけて、とても見やすい作品になった。狂気の世界をエンタメにして、わかりやすく、怖い。「気が狂う」世界をおしゃれでスタイリッシュに提示した。それは原作がありて、ではなく、たぶん、2人の女優がありき、で書かれてあることにもよる。津久間泉と船戸香里だ。

 2人芝居として構成されてある。津久間が青年を演じ、船戸が若林医師と、正木教授を演じる。 本来なら男2人で演じればいいいはずのお話を女2人に演じさせる。空の驛舎には三田村啓示という怪優がいることなんか北村想も知っているはずなのに、彼にこの2役を演じさせて、一人芝居にしても絶対に面白くなるのに、女優2人にあて書きした。(ようだ)

 手ごわい作品である。2時間のアラベスク。2人の対決。対話劇なのだが、ちょっとしたバトルなのだ。僕たち観客を脳内の迷宮に誘いこむ。何が真実で、何が虚構なのか。はたして、そんな区別に何の意味があるのか。医者と患者。犯人と被害者。だから、それは、生きているものと、死んでいるもの、でもある。ここにいるものと、いないもの。記憶を失った男と、彼の治療に当たる若林医師。13号室の正木教授と、6号室の叫ぶ女。対立するもの、向き合うもの。短いシーンが、どんどん闇の世界のその先へといざなう。

 先にも書いたが、北村想が自らの演劇論を通して、この芝居の核心部分に迫るシーンの気の抜け方がすばらしい。シリアスなのか、冗談なのか、よくわからないような、でも本気の作品。その絶妙なバランスがいい。緊張感のある芝居ではなく。程よい、ゆったりした芝居になっている。もっと突き詰めていくことは充分に可能なのだ。ホラーのような語り口にも出来た。しかし、そうはしない。絶妙なバランスで最後まで見せきる。

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