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映画・演劇のレビュー

001『WWW』

2012-01-10 22:03:59 | 演劇
 昨年の7月に東京で上演された作品を大阪で再演する。関西圏で活躍するスタッフ、キャストによる作品なのに、東京先行、というより、これはもともと東京で上演された作品なのだ。Ugly ducklingの樋口ミユさんが活動の拠点を東京に移しただけで、その他のメンバーは、関西圏の人間ばかりなのに。それってなんとも不思議な感じだ。この作品の成立事情はよくわからないけど、これが7月段階で、東京で上演されたという事実に驚く。震災をここまでストレートに扱った作品が、その時点で上演されていたのだ。自分が受け止めた想いを芝居として綴る。それがどんなふうに受け止められても構わない。樋口さんらしい作品だ。

 これは観念的な作品である。もともと樋口さんの作品はリアリズムではない。だが、それはとても皮膚感覚に訴えかけてくるものだった。頭より身体に効いてくる。理屈ではなく、感性に訴えかけるのだ。そんな作品だった。それを演出の池田さんが、わかりやすく絵解きしてくれる。そこがアグリーの魅力だった。今回の演出は池田さんではない。南船北馬の棚瀬美幸さんだ。彼女はどちらかというと理詰めで芝居を作る。硬いまま芝居を見せる。柔らかく噛み砕くことはない。そこが今回の作品の魅力だ。

 作品自体もわかりやすさからは遠い。だが、これは理屈っぽい芝居ではない。大体あのキタモトさんの圧倒的な存在感の前では理屈なんか吹っ飛んでしまう。そこに、ミイラがいる。もちろん彼はずっと以前に死んでいる。死んでいる男が語り出す。これはもう理屈なんかではないだろ。更には、白い2人の女が現れる。彼女たちも死んでいる。

 大きな災害が起きて、たくさんの人が死んでしまった。その災害は東日本大震災である、と限定しない。もっと一般的なものを指す。だが、この時期だ。そう思われてもかまわない。人は死ぬ。記憶は残る。境界線を越える。踏みとどまる。自分の感性をよりどころにして感覚的に書かれた台本を、メタドラマの手法で見せていくので、一見捉えどころのない作品になる。しかし、この観念的な世界を、4人の役者たちは自分たちの皮膚感覚をよりどころにして、リアルに見せて行こうとする。捉えどころのない世界の在り方を自分たちの身体で実感していくのだ。わけのわからない世界と、そのルールを受け止めて、その流れに身を任せて行く。そこからこの世界のひとつの形が見えてくる。
 

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