先に彼の最新作である『わたしはロランス』を見たいと思ったのに、グザヴィエ・ドランの第2作であるこの作品を借りてきた。でも、それって、たまたま、らしい。グザヴィエ・ドランなんて知らなかった。原題は『恋人たちの妄想』じゃないかな、と彼女は言う。最初はそんなことも知らないで見た。へんな映画だな、と思った。
彼女はフランス映画が好き(でも、今回はカナダ映画だけど)だから、ついついこういうマイナーな映画を借りてくる。仕方ないから見る。すると、思いがけなく、面白い、というのがパターンなのだ。自分ならチョイスしない映画を選んでくるのが、うれしいような、そうじゃないような。結構微妙。
最初のインタビューのシーンが先ずヘンだ。カメラが近寄ったり離れたり、へんな動きをする。何人かのインタビューの後、お話に入る。3角関係だ。男2人と女1人。親友である女友達の好きな男に心魅かれる男。そんな3人の関係を描いていくのだが、ここでも、なんだか不思議な距離感で語られていくから、感情移入は出来ない。だいたい、この3角関係はいびつ。男を好きになる男の話というのが、いびつなのではない。描かれるその視線が普通じゃないのだ。監督はこの3人に対して、余計な感傷を抱かない。終盤でまたインタビューが挟まれる。同じ人たちにする。そして結末に至る。
ミッシェル・ゴンドリーの『ムード・インディゴ うたかたの日々』を続けて見た。これもへんな恋愛映画だ。いつものようにカワイイ。今回は『アメリ』の不思議ちゃん、オドレィ・トトゥをヒロインに迎えた。ますますかわいい度UP。キッシュな世界で、ふたりの恋は突き進む。切ない恋の物語のはずなのだが、へんてこな世界のビジュアルのため、なんだかそれをリアルには受け止めれれない。これもなぜか、3人のお話で、主人公の2人にいつも付き添う男がいて、彼らの関係性が強調される。それってへん。
こんな2本を連続して見ると、世界が変わって見えてくる。どちらも悪い映画ではないけど、なんだか乗り切れなかった。ふつうじゃないのが、よくないわけではない。でも、そのふつうじゃなさが、平然と描かれると、なんだか調子が狂ってしまうのだ。なんともへんな気分。今回は感情で感想を書いているから、理屈はない。自分でもこの2本をどう受け止めたならいいのか、よくはわからないのだ。
写真は『ムード・インディゴ うたかたの日々』の方。この写真が好き。
彼女はフランス映画が好き(でも、今回はカナダ映画だけど)だから、ついついこういうマイナーな映画を借りてくる。仕方ないから見る。すると、思いがけなく、面白い、というのがパターンなのだ。自分ならチョイスしない映画を選んでくるのが、うれしいような、そうじゃないような。結構微妙。
最初のインタビューのシーンが先ずヘンだ。カメラが近寄ったり離れたり、へんな動きをする。何人かのインタビューの後、お話に入る。3角関係だ。男2人と女1人。親友である女友達の好きな男に心魅かれる男。そんな3人の関係を描いていくのだが、ここでも、なんだか不思議な距離感で語られていくから、感情移入は出来ない。だいたい、この3角関係はいびつ。男を好きになる男の話というのが、いびつなのではない。描かれるその視線が普通じゃないのだ。監督はこの3人に対して、余計な感傷を抱かない。終盤でまたインタビューが挟まれる。同じ人たちにする。そして結末に至る。
ミッシェル・ゴンドリーの『ムード・インディゴ うたかたの日々』を続けて見た。これもへんな恋愛映画だ。いつものようにカワイイ。今回は『アメリ』の不思議ちゃん、オドレィ・トトゥをヒロインに迎えた。ますますかわいい度UP。キッシュな世界で、ふたりの恋は突き進む。切ない恋の物語のはずなのだが、へんてこな世界のビジュアルのため、なんだかそれをリアルには受け止めれれない。これもなぜか、3人のお話で、主人公の2人にいつも付き添う男がいて、彼らの関係性が強調される。それってへん。
こんな2本を連続して見ると、世界が変わって見えてくる。どちらも悪い映画ではないけど、なんだか乗り切れなかった。ふつうじゃないのが、よくないわけではない。でも、そのふつうじゃなさが、平然と描かれると、なんだか調子が狂ってしまうのだ。なんともへんな気分。今回は感情で感想を書いているから、理屈はない。自分でもこの2本をどう受け止めたならいいのか、よくはわからないのだ。
写真は『ムード・インディゴ うたかたの日々』の方。この写真が好き。