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映画・演劇のレビュー

『TOKYO TRIBE』

2014-09-08 19:05:51 | 映画
 こんなにもムチャクチャな映画はない。久しぶりに興奮した。それは石井聰互監督の『爆裂都市』を見た時のような感動だ。「これは暴動の映画ではない。映画の暴動だ」というあの有名なコピーを思い出させる。2時間ドキドキしながら見た。この映画はいったいどうなるのや、と今現在見ているにもかかわらず、想像もつかない。どこに連れて行かれるのか。わからないし、作者である園子温ですら、わかってないのではないか、と思わせる。まるで即興のような映画だ。準備した後はおまえたちで勝手にしろ、って感じ。(もちろん、映画だし、そんなわけはないのだが)

 ストーリーなんかない。あってなきが如し、というやつだ。その圧倒的ビジュアルがどこまでエスカレートしていくのか。そのイマジネーションは際限ない。近未来のトーキョー・シティをアナログ技術で作り込む。人海戦術、ローテクのよる凄まじいエネルギーには衝撃を受ける。ありか、こんなこと、と。手作り感満載の美術。ラップによる音楽。物と音の洪水。そこに派手なダンスやアクション。気の遠くなるような作業によって隅々まで彩られた空間。そのひとつひとつを手に取って眺めてみたいくらいなのに、どんどん流していく贅沢さ。

 そして、豪華絢爛な役者陣。有名無名が同じ舞台に同じように並んだ。目立つかどうかは、本人次第。主人公の鈴木亮平はほとんど裸だ! というか、彼が主役か? でも、圧倒的な存在感で映画の中心に君臨している。あの怪物、竹内力が、モンスターとしてあれだけの存在感を誇っているのに、だ。本来の主役であるはずのYOUNG DAISがあんなにも目立たない。でも、彼はラッパーとしてちゃんと映画をドライブしている。ヒロインの新人、清野菜名があれほどの存在感を示すのにも驚く。何なんだ、これは。あれだけのアクションを見せるのにも驚かされる。しかも、白のワンピースの清純そのものの彼女は裸にされてしまうし。でも、そこからの後半、ヒロインとして映画をどんどん引っ張っていくし。後半の赤も印象的。どいつもこいつも、この映画のために身を粉にして貢献する。誰もが、自分を棄てて映画に奉仕している。

 それなのに、何が何だかわからない。凄いとか、凄くないとか、そういうのはとうに超越している。ストーリーテラーであるMC染谷将太(ラップでしゃべる。しかも、セリフではなくナレーションだし)に誘われて、このわけのわからない混沌とした世界を横断して縦断して、どうとでもして。映画を見たというよりも、なんだかわけのわからない場所を(ものを)探検した、体験した。ただそれだけ。だからこれはそんなこんなの2時間の壮大な旅なのだ。そして、それ以上の何もいらない。

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