こんなタイプの文芸映画は、今の日本ではもう作られない。70年代くらいで絶滅した種類の映画なのだ。もちろん60年代くらいまでは盛んに作られてきた。だが、今、誰もこういう映画を見ない。どうしてこんな企画が浮上してきたのか、不思議でならない。しかも監督はまだ若い熊切和嘉だ。『鬼畜大宴会』の、とはもう言わないけど、それでもこの手のジャンルには違和感がある。『ノン子36歳(家事手伝い)』なんていう映画を作っているけど、この手の文芸メロドラマではない。というか、パッケージングとはうらはらにこの映画はメロドラマですらないのだ。瀬戸内寂聴の原作は40年以上前に書かれた小説である。当時はベストセラーになったのだろうし、ドラマ化とかもされたかもしれない。だがこの映画化はそういうこととも無縁だ。
時代背景は昭和20年代の終り、東京。今それをやったならちょっとした時代劇になる。けっこうそういう風俗や風景を再現するには余分に製作費もかかる。だが、まるで気にもしない。というか、どちらかというと、そういう時代背景を大切にしている。この映画はお話よりも、描かれる時代の風俗とか、感じ方、考え方のほうを大切にしている。だが、それは『Always 3丁目の夕日』のようなノスタルジアではない。
ひとりの女から目を離さない。彼女をただ追いかける。ありのままに。何故彼女は2人の男の間で揺れるのか。わからない。ただこれは3角関係のもつれを描く女性映画ではない。女性の自立を描くとか言うのでもない。8年間ともに過ごす男。彼には家庭がある。家と彼女の元を行き来している。ある日、彼女が昔好きだった男が訪ねてくる。そこから始まる。
30代半ばの女性を主人公にして、揺れる想いを描く。仕事は順調で染色家として自立している。男に頼って生きるのではない。だが、ひとりで生きるのは苦しい。好きな人がいなくては、生きられない。映画は、今書いたような激情の人を描くのではない。とても静かに今ある現実を受け止めて生きている。
時間を前後させて、これまでのことを説明する。だが、過去と現在が、どうつながるのか、よくわからない。説明もあまり丁寧ではない。断片だけを切れ切れに提示される。とても曖昧なまま、見せていく。いきなり、過去の出来事が淡々としたタッチで描かれるから、話の脈絡も摑みにくい。もちろんわざとそういう編集をしている。ドラマチックな展開も多々あるのに、まるでそういう見せ方はしない。彼女の気持ちなんか、まるで見えないし、2人の男たちもそう。そういう見せ方に終始する。感情の起伏はあまり描かれない。もちろん内に秘めたものは、感じられる。抑えた想いはシーンの節々から見え隠れする。だから、とても緊張を強いられる。
主人公を満島ひかりが演じる。気持ちを言葉にしない。彼女の表情、しぐさから伝わる。男たちも何も言わない。年上の作家を小林薫、年下の男を綾野剛がそれぞれ演じる。幼い子供と夫を棄てて、他の男(綾野剛)の元に奔った。だが、その男とも別れて、別の男(小林薫)と暮らす。そこに駆け落ちした元の男がくる。再び彼のことも好きになる。だが、なんて自分勝手な女なのだろうか、とは思わない。そんな彼女をそのまま受け止められる。彼女は何ひとつ、言い訳はしない。ただ自分の心に寄り添うばかりだ。夏の終りはどこに来るのか。映画は決着をつけることなく閉じる。なのに、それがとても心地よい。後には、なんとも不思議な感触を残す。一人取り残されて、ただ、そこにたたずむばかりだ。
時代背景は昭和20年代の終り、東京。今それをやったならちょっとした時代劇になる。けっこうそういう風俗や風景を再現するには余分に製作費もかかる。だが、まるで気にもしない。というか、どちらかというと、そういう時代背景を大切にしている。この映画はお話よりも、描かれる時代の風俗とか、感じ方、考え方のほうを大切にしている。だが、それは『Always 3丁目の夕日』のようなノスタルジアではない。
ひとりの女から目を離さない。彼女をただ追いかける。ありのままに。何故彼女は2人の男の間で揺れるのか。わからない。ただこれは3角関係のもつれを描く女性映画ではない。女性の自立を描くとか言うのでもない。8年間ともに過ごす男。彼には家庭がある。家と彼女の元を行き来している。ある日、彼女が昔好きだった男が訪ねてくる。そこから始まる。
30代半ばの女性を主人公にして、揺れる想いを描く。仕事は順調で染色家として自立している。男に頼って生きるのではない。だが、ひとりで生きるのは苦しい。好きな人がいなくては、生きられない。映画は、今書いたような激情の人を描くのではない。とても静かに今ある現実を受け止めて生きている。
時間を前後させて、これまでのことを説明する。だが、過去と現在が、どうつながるのか、よくわからない。説明もあまり丁寧ではない。断片だけを切れ切れに提示される。とても曖昧なまま、見せていく。いきなり、過去の出来事が淡々としたタッチで描かれるから、話の脈絡も摑みにくい。もちろんわざとそういう編集をしている。ドラマチックな展開も多々あるのに、まるでそういう見せ方はしない。彼女の気持ちなんか、まるで見えないし、2人の男たちもそう。そういう見せ方に終始する。感情の起伏はあまり描かれない。もちろん内に秘めたものは、感じられる。抑えた想いはシーンの節々から見え隠れする。だから、とても緊張を強いられる。
主人公を満島ひかりが演じる。気持ちを言葉にしない。彼女の表情、しぐさから伝わる。男たちも何も言わない。年上の作家を小林薫、年下の男を綾野剛がそれぞれ演じる。幼い子供と夫を棄てて、他の男(綾野剛)の元に奔った。だが、その男とも別れて、別の男(小林薫)と暮らす。そこに駆け落ちした元の男がくる。再び彼のことも好きになる。だが、なんて自分勝手な女なのだろうか、とは思わない。そんな彼女をそのまま受け止められる。彼女は何ひとつ、言い訳はしない。ただ自分の心に寄り添うばかりだ。夏の終りはどこに来るのか。映画は決着をつけることなく閉じる。なのに、それがとても心地よい。後には、なんとも不思議な感触を残す。一人取り残されて、ただ、そこにたたずむばかりだ。