演出のキタモトさんは、この母と娘を冷徹にみつめている。きちんと距離を保ち、近寄りすぎることもなく、突き放すわけでもない。その微妙な距離感が、この作品を緊張感のあるものにする。
失われた義足を巡る母と娘の対話を通して、彼女たちの関係性を浮き彫りにしていく。母は娘に対して注ぐ愛情はストレートなものではなく、彼女に対してとても済まないという気分から、かなり下手に出た対応であり、娘の方が尊大だ。娘はそんな母親に対して苛立っている。足は母親のせいではない。だが、母親は自分のせいだと思っている。確かにそういう一面はあるだから、強くは出れない気持ちもわからないではない。
だが、この両者の関係性は普通の母子においてもありえるもので、この作品が描くものは、実は特別なものではなく、普遍的な母娘の関係なのだ。失われた足は、ある種の象徴でもある。そんな両者の力関係が、ドラマの進行とともに、微妙に変化していく瞬間がスリリングに描かれる。そこがこの作品のテーマだ。娘は自分に片足がないことを気にしていないフリをしている。そのある種の傲慢さは、自分を守るための鎧だ。義足が自分を守っている。しかし、今、その義足を失ったため、彼女は心のバランスを崩している。にもかかわらず、母に対していつもの強姿勢をキープする。弱い娘にはなれない。そうなってしまうことで、自分を見失ってしまうことが怖いからだ。母はもちろん、娘に強く出ることができない。足を失ってしまった娘に対する負い目がある。
小説を書いて、フラフラ生きている(ように見える)彼女に対して、母親として言いたいことはいくらでもある。しかし、それを表には出さない。娘との危ういバランスで保たれた関係性を守るためだ。彼女は娘の幸せを望んでいる。それは「幸せな結婚」というありきたりなものに象徴される。
しかし、娘は自分にそんな幸福は来ないと思っている。唯一、自分を保つための手段が、小説を書くことなのだが、それすらも、今の自分を支える力にはなりえないのではないかと、ひそかに理解している。だから、彼女の今はとてもあやうい。
そんな中での今回の事件なのだ。やさしい顔をした悪魔が、彼女を辱めて、彼女の義足を奪い去った。パニックに陥った彼女は、泣きながら母親に電話する。認めたくはないが、唯一の心の支えは母親なのだ。夢中で母親にすがった。そんな自分に彼女はショックを受けている。
この2人芝居を支えているのは、そんな母と娘とのギリギリの状況である。それを表面的にはとても穏やかに見せる。キタモトさんは感情の起伏を最小限にとどめる。大仰な芝居は一切させない。2人はそんな彼の演出にこたえる。条あけみさんは、激しさをうちに秘めて、冷たい視線を母親である河東けいさんに向ける。そんな視線を受けて河東さんは戸惑いながら、オロオロして、それを必死に受け止める。幾分オーバーアクトする部分もあるが、それも含めて的確だ。2人の絶妙な対決がこのあやうい関係性のドラマを見事に作り上げる。
演じる2人の年齢が台本自体の設定より高くなっているから、(脚本では30代と60代らしい)そのぶん、余計に不安にさせられる。もう取り戻すことのできない時間がそこには横たわる。
失われた義足を巡る母と娘の対話を通して、彼女たちの関係性を浮き彫りにしていく。母は娘に対して注ぐ愛情はストレートなものではなく、彼女に対してとても済まないという気分から、かなり下手に出た対応であり、娘の方が尊大だ。娘はそんな母親に対して苛立っている。足は母親のせいではない。だが、母親は自分のせいだと思っている。確かにそういう一面はあるだから、強くは出れない気持ちもわからないではない。
だが、この両者の関係性は普通の母子においてもありえるもので、この作品が描くものは、実は特別なものではなく、普遍的な母娘の関係なのだ。失われた足は、ある種の象徴でもある。そんな両者の力関係が、ドラマの進行とともに、微妙に変化していく瞬間がスリリングに描かれる。そこがこの作品のテーマだ。娘は自分に片足がないことを気にしていないフリをしている。そのある種の傲慢さは、自分を守るための鎧だ。義足が自分を守っている。しかし、今、その義足を失ったため、彼女は心のバランスを崩している。にもかかわらず、母に対していつもの強姿勢をキープする。弱い娘にはなれない。そうなってしまうことで、自分を見失ってしまうことが怖いからだ。母はもちろん、娘に強く出ることができない。足を失ってしまった娘に対する負い目がある。
小説を書いて、フラフラ生きている(ように見える)彼女に対して、母親として言いたいことはいくらでもある。しかし、それを表には出さない。娘との危ういバランスで保たれた関係性を守るためだ。彼女は娘の幸せを望んでいる。それは「幸せな結婚」というありきたりなものに象徴される。
しかし、娘は自分にそんな幸福は来ないと思っている。唯一、自分を保つための手段が、小説を書くことなのだが、それすらも、今の自分を支える力にはなりえないのではないかと、ひそかに理解している。だから、彼女の今はとてもあやうい。
そんな中での今回の事件なのだ。やさしい顔をした悪魔が、彼女を辱めて、彼女の義足を奪い去った。パニックに陥った彼女は、泣きながら母親に電話する。認めたくはないが、唯一の心の支えは母親なのだ。夢中で母親にすがった。そんな自分に彼女はショックを受けている。
この2人芝居を支えているのは、そんな母と娘とのギリギリの状況である。それを表面的にはとても穏やかに見せる。キタモトさんは感情の起伏を最小限にとどめる。大仰な芝居は一切させない。2人はそんな彼の演出にこたえる。条あけみさんは、激しさをうちに秘めて、冷たい視線を母親である河東けいさんに向ける。そんな視線を受けて河東さんは戸惑いながら、オロオロして、それを必死に受け止める。幾分オーバーアクトする部分もあるが、それも含めて的確だ。2人の絶妙な対決がこのあやうい関係性のドラマを見事に作り上げる。
演じる2人の年齢が台本自体の設定より高くなっているから、(脚本では30代と60代らしい)そのぶん、余計に不安にさせられる。もう取り戻すことのできない時間がそこには横たわる。