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映画・演劇のレビュー

BALBOLABO『北向きのヴァルキュリヤ』

2020-03-07 09:10:20 | 演劇

 

女子相撲の世界を描くのが今回の挑戦だ。オカモト國ヒコが「シンクロ」に続いて取り上げる。前回も大胆不敵な挑戦だったが今回はますますハードルを高くした。奇を衒った安易な二番煎じではないことは一目瞭然である。演劇でスポーツを描く。しかも、本格的に競技を取り込んで、舞台の上でそれをしっかりと見せきることを一番のポイントとする。視覚的にどうみせるか。演劇的リアルを追求するとどこに行き着くか。そんなあり得ない挑戦に挑む。

もちろん、お話の面白さは不可欠だ。基本はまずエンタメ。そこも外せない。いろんな意味でどんどんハードルは高くなるばかりだ。だから、彼は燃える。安易な企画にはしないし、出来ない。史実に忠実に描くことも必要だろう。どこにポイントを置くかも重要だ.様々な切り口が可能になる。それだけに収拾がつかなくなる。まず、群像劇に設定した。『キラメキ』のように主人公を絞り込んだほうが作品は作りやすかったはずなのに、敢えて苦難の道を行く。8人の女の子たちをバランスよく描くから、焦点が絞れなくなった。拡散する。でも、そこは譲れない。

そのかわりに、1996年を中心してお話を組み立てた。できることならクロニクルにしたかったはずだ。でもそうするとさらに散漫な印象を与える。だから、そこは我慢した。しかも本当なら2020年のほうに焦点を置く方が盛り上がるはずなのに、それはしなかった。東京オリンピックの種目に取り上げられるか、否かという部分のお話もカットした。2時間で納めることが大前提である以上、あれもこれもと欲張ることは不可能なのだ。さらには、ドラマチックに描くのではなく淡々としたタッチを選択した。面白おかしく見せる気なんて更々ない。それもこれもいろんな意味で苦しみ抜いた上での選択だろう。そんな思い切りのよさが功を奏した。

そして、この成功の最大の要因は、最初にも書いたが女の子たちの肉体のぶつかり合いを何よりもまず優先したことだ。相撲のシーンが素晴らしい。様式美ではなく、迸る汗とぶつかり合う力と力。それが美しく描けたから、この芝居はリアルになった。リアルな相撲を見せるのではなく、舞台上でのリアルを追求する。それはシンクロの時と同じだ。まわしを締めた女の子たちを美しく見せるなんて、想像もつかないことだ。だが、それをオカモトと8人の女優たちは実現したのだ。凄いとしか言いようがない。ぜひ、舞台でそれを目撃してもらいたい。舞台上で本格的格闘技を美しく見せる。しかも綺麗ごとではなく。そんな遙かなハードルを彼らはちゃんと飛び越えた。

 


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