凄い映画だ。甘い映画を想像していたらこれは手痛い目に遭うことだろう。ジュディ・ガーランドの最後を描くこの映画はただの音楽映画ではない。ロンドンでの悪夢のような時間は彼女にとって最高の時間でもある。子どもたちと引き離されて、でも、彼女を求めてくれるお客さんの前で歌うことはある意味本望だろう。だけど、歌えない。怖い。酒に溺れ、不安と戦い、ステージに立つ。歌うことだけが生きること、なんていうようなお題目でも唱えられたなら、きっと感動のドラマになるかも知れない。でも、ここに描かれるのはそんなきれいごとではない。
映画は、少女時代の彼女のアップから始まる。そして、今の彼女の姿に移行したとき、すべてはもう終わっている。終わってしまった後の人生をどう生きるか。もう一度輝きを取り戻せられたならいい。しかし、それは出来ない。ならば、このまま消えていくしかないのか。
何が正しくて、何が間違いなのかなんてわからない。ただ、もう選んでしまったのだ。それは変えようがない。少女時代と現在とを往還させながらジュディというスーパースターがどう生きて死んでしまったのかを描く。普通の女の子としての人生を選ぶことも出来たが、彼女はスターへの道を選んでしまった。その甘美なチャンスと、才能を生かす道を取った。決して間違いではない。しかし、その結果、彼女は大切なものを失った。
そして今最期の選択を迫られる。ロンドンに行き、ステージをこなすこと。今も彼女を求める人がそこにはいる。彼女なら可能だ。しかし、彼女はそんなせっかくのチャンスを生かせない。もう彼女は終わっていたのかも知れない。どこで踏ん張り、どこに向かっていくべきなのかを見失った。それは彼女の弱さなのか。映画は綱渡りのロンドンでの日々を通して生きることの困難を描く。彼女の過ちは彼女だけのものではなく、誰もが抱えるものだ。自らの弱さとどう向き合っていくか。それを乗り越えていくか。
2歳から映画の世界に入り、『オズの魔法使』で子役として圧倒的な人気を得て、自分の人生を見失い、虚構の世界で生きるしかなかった彼女の、悲惨な晩年(といっても、47歳!)をこの映画は描く。どうしてこんなことになるのか、彼女自身もわからない。見ていて、どうしようもない気分にさせられる。たくさんの人たちに支えられて、気持ちが高揚し、最高のステージを作れる日もある。だけど、その後には最悪がやってきて、どうしようもない。そのアップダウンの繰り返しに圧倒される。ジェットコースターに乗って、そこから何度も振り落とされる気分だ。振り落とされたなら死んじゃうけど。
ロンドンでの時間は、結果的に、振れ幅の大きい彼女の人生の最期の時間になった。映画はそこをドキュメンタリーのように、でも、映画としてとても感動的に描いてあり、圧倒的だった。ステージを降りているときのどうしようもない弱さと,ステージに立ったときの力強さ(でも、それだって長くは続かない)が交錯し、実人生を見失い、なんとかして、それを取り戻そうともがき苦しみ、生きる、そんな彼女の姿は見ているだけで苦しい。この苦しみを受け止める。その先に生きるということは何なのか、という大きな命題の答えが隠されている気がする。