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映画・演劇のレビュー

『哀しい獣』

2012-01-28 09:14:57 | 映画
 かなり思い切ったタイトルだ。映画の本質を直截に看破したようにも見えるけど、なんだか安易にごまかしたようにも取れる。微妙。原題は『黄海』。こちらはストレート。でも日本で商業ベースに乗せるにはこれではダメだろう。

 中国の辺境地、朝鮮族が中心になって暮らす地域。延吉市。そこでタクシードライバーをしている男が主人公だ。前半の、彼のここでの暮らしを描く日常描写のシーンが、とても興味深い。中国の地方都市、とても現代とは思えないような風景がそこには展開する。幼い子供を残して、家を出て、韓国に出稼ぎに行ったまま帰らない妻。苦しい生活。妻の借金の返済が出来ないで、業者から追われる日々。ソウルに行って、人をひとり殺してきたなら借金はちゃらにする、と言われ、彼は国境を越える。

 朝鮮族であることが、どんな差別を受けることとなるのか、なんてよくわからないから、この映画の一番痛いところが僕たちには見えない。だが、このアクション映画の衣を纏った人間ドラマの描く「哀しみ」はしっかりと伝わってくる。前作『チェィサー』で独自のアクション映画を指し示したナ・ホンジン監督の第2作である。今回の大作は、前作とは違い自分のやりたいことを前面に押し出した。だから、アクション映画としてはあまりに暗くて重いものとなった。派手なカーチェイスはある。アクションシーンは満載だ。しかもハードで、残酷だ。主人公が殺人犯の汚名を着せられ逃亡するというよくある設定なのだが、ここに流れる孤独と絶望はこれがただのアクション映画ではないことを指し示す。

 前半の舞台となる延吉市がどこにあるのか、よくわからなかったから、ホームページを見た。そこに書かれてある躍進する地方都市としての概要と、この映画で描かれる現実との落差に驚くことはない。こんなものなのだ。どちらが正しいとか、関係ない。中国の辺境、ロシアとの国境、もちろん朝鮮とも近い。そのロケーションをもう一度確認した上で、この映画のことを考えたい。

 どうしようもない貧しさは、彼が麻雀にのめり込み、さらなる借金に苦しめられる冒頭のエピソードが象徴する。この貧困は、躍進する経済との落差が産んだものだ。生きていけないほどの貧困ではない。だが、裕福な生活がすぐそこまでやってきている中で、今ある自分たちの生活はとても不幸なものに見える。もっと豊かな生活が欲しい、と望むのは当然のことだろう。妻がソウルへ出稼ぎに行き、そこで豊かな生活を体験し、もう帰って来られなくなるというのも、わかりやすい現実だ。密航船で韓国に行き、そこでの人々の生活を見て、彼は何も思わない。貧富の差はない。このくらいは充分想像がつく。妻がここで豊かな暮らしをしている、わけではない。そんなことも充分わかる。だが、何かが違う。

 彼はここでの10日間、ターゲットを追いかけて殺す機会を窺いつつも妻の消息を追う。そして、事件に巻き込まれる。警察からも、ヤクザからも追われて、山に逃げ込み、命からがら中国に戻ろうとする。だが、そこに戻っても何もない。妻の遺骨を抱えて、帰る。

 だが、当然のようにそんな儚い、ささやかな夢さえ叶わない。皮肉なラストシーンが切ない。この映画が描く現実の闇にどっぷりと浸る2時間20分は、映画館の闇の中でしか味わえないものだ。ぜひ、これを劇場で見ることを勧める。僕が見た平日の最終回の上映は3人しか客がいなかった。そんなうら侘びしさもまた、劇場でしか味わえない。

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