なんとまぁ、そっけないタイトル。でも、この味気ないタイトルがこの映画にはふさわしい。感動の実話の映画化、ではなく、こんなことがあった、という記録に徹するような勢い。宣伝では「世界が震撼した[衝撃の実話]、世紀の国家スキャンダル〈ドレフュス事件〉映画化」なんて感じで煽られているけど、そういう映画じゃない。だけれどもドキュメンタリータッチというわけでもない。劇映画としてしっかり作られてある。
これはロマン・ポランスキー久々の新作ではあるが、へんな気合を入れすぎて、空回りすることもなく、淡々と事実を描く。しかも彼は声高に訴えかけない。抑えたというのでもない。当たり前だが、フランス語で作られたフランス映画。(この手の大作はフランスの話なのに英語で作られることが多い。アメリカ資本が入った場合だけではなく、リュック・ベッソン製作映画のように世界市場を相手にするためフランスを舞台にしたフランス映画なのに英語で作るというような愚行を侵さない。)でも、堂々としたタッチでハリウッド映画のようなスケールで描かれる。
正しいことにために正しいことをする。それだけのことがいかに困難なことか。そのことが淡々と描かれるのがいい。不屈の決意とか、とんでもない苦渋を飲むとか、いう展開には描かれない。こんなにも大変な事態に陥るにもかかわらず。
主人公のピカール中佐(ジャン・デュジャルダン)は、ドレフュス(彼は幽閉されたままほとんど登場しない)の無実を示す証拠を発見し上官に対処を迫るが、事実を隠蔽を図ろうとする上層部から左遷を命じられてしまう。だが彼は動じない。正義のためとか、正しいことは報われるとか、そんなことを思ったからでもない。彼はただ自分を曲げたくなかっただけ。この映画が描くのは冤罪事件の告発ではない。ただ、信念を曲げなかっただけ。どれだけのリスクを背負うことになろうとも。この映画の原題は『J’accuse(わたしは弾劾する)』。邦題同様こちらもシンプルだが、日本語タイトルのほうがいい。