70年代の終わりに始まった『ロッキー』が21世紀になっても続いていく。スタローンは、(というか、ロッキーだ!)引退しても、彼の人生は終わらない以上映画もまた続く、ということなのか。前作『クリード』を見た時、実に新鮮な感動があった。あれは、ロッキーの第1作を見た時の感動に似ている。ありきたりなお話なのに、それがあんなにも新鮮で感動的だったのは、普遍の中に真実があるという証だったのか。
だが、ロッキーは2作目からマンネリに陥る。それも定めだろう。そこには何一つ新しいことはなかったからだ。同じようにこの『クリード2』も同様だった。想像通りにパターンから一歩も出ない。なんの驚きもない予定調和の映画である。まぁ、そんなこと最初からわかっていた話だ。劇場に行ったのはその確認のためのようなものだ。(まぁ、少しだけ、もしかしたら、とも、思わなくもなかったが)
映画はなんと『ロッキー4 炎の友情』の続編としての位置づけになる。あのドラゴ(ドルフ・ラングレン)が息子を連れて復讐にやってくる、というお話だ。どんだけやれば気が済むのか、というような展開である。でも、スタローンはやりたかった。これは彼のライフワークというよりも人生そのものなのだ。だから、スタローンはロッキーとイコールでいい、と本人も自覚している。それは渥美清が寅さんであるようなものなのだろう。ロッキーはスタローンが死ぬまで続く。それって凄い。それなら僕も、1作目からリアルタイムで見続けている以上、彼を見届けなくてはなるまい。