こういうタイプの本は読まない。だけど、なんとなく手に取り、なんとなく借りてしまった。どうしてタイトルが漢字のところ以外をカタカナ表記したんだろうか、とか。作者の名前何て読むんだろうか、とか。どうでもいいようなことが気になった。「伊智」と書いてそのまま「いち」と読ませるらしい。不思議でも何でもないけど、そこが反対に、なんだか変な気分にさせるのだ。
7話からなる短編連作小説である。まぁ、よくあるパターンだ。第1話から7話まで続く。いずれもホラーである。タイトルそのまま、の。何の仕掛けもない。特別恐ろしくもないお話が続く。だから反対にそこにはリアルな感触が残る。作り物なんだろうけど、自然体。怖がらせようとはしていない。あざとさがない。信じられないものがあるはずなのに、信じている。信じることが安心につながる。でも、そこに揺さぶりをかけられると、人は簡単に動揺する。怖くはないから、怖い。怖いと思うから怖くなる。だから、必要以上には怖がらすようなことはしない。でも、必要な範囲では確実に怖がらせる。実にうまいと思う。
だけど、第4話(怪談話のトークショー)くらいから少しあざとさが目立ってくる。そこまでの淡々としたタッチの連作からこれは長編なのだということが見え隠れしてくる。タイトルの「怖がらせ屋さん」の影が前面に出てくるのだ。巧みな構成すぎて、反対にそこにあざとさが感じられる。最初に感じた通り、この不思議なタイトルが意図的なものだったことは明確になる。「怖ガラセ屋サン」がなぜ「怖がらせ屋さん」ではないかという疑問が本編でも描かれるのだ。音で聞くともちろん同じだけど、それを表記した時の違和感。その間隙に潜むものが、この小説の狙いに合致する。
わけのわからないものがそこにはある。理屈ではなく。怖ガラセ屋サン(あるいは、怖がらせ屋さん)は、なぜ現れたのか。誰かが誰かを依頼したから。いるはずのない彼女(それは男ではなく、女だ。そしてもちろん「怖ガラセ屋サン」だ!)がやってきて、恐怖に叩き落す。何のために?
最終話はさすがだ、と思いつつも、つまらないな、と思った。怖ガラセ屋サンの実態を究明するレポートなのだが、やりすぎ。作者だけが楽しんでいる気がした。