女6人の芝居。10場からなる2時間半の大作。この作品に豊麗線が挑むというのは凄い挑戦だと思う。シニア劇団であるこの集団がこいう繊細なドラマを演じるというのはとんでもなく困難を伴う。だけど、やりたいという気持ちが後押しして上演へと漕ぎ着けたのだろう。素晴らしいことだ。これで凄い作品が生まれたなら万々歳なのだが、なかなかそこまではいかない。
思ったほどに弾まない。この芝居はもっと掛け合いの面白さで見せなくてはならないはずなのだが、そうはいかない。役者たちにそれだけの余裕がないからだ。膨大なせりふをこなしていくだけで手一杯になっている。
10のシーンは短編連作のスタイルでお盆の一日、同じ場所、同じ顔触れで、9年間が描かれる。(第5場のみ、家の裏が舞台になる)よほどうまく見せなくては単調になる。緊張感を持続できるかが成否に鍵となるだろう。少ないキャストでの濃密なやりとりの中から浮かび上がってくる明治の女たちの悲哀をコミカルなタッチで見せていくのがこの作品のねらいなのだが、しかも、それを限定された空間から立ち上がる彼女たちの今という時間として見せていかねばならないのだが、それは難しい。
まず、これはひとりひとりのキャラが立ってこそ成立するタイプの芝居なのだが、芝居は表面的にストーリーをなぞるだけで終わる。だから残念だが、役を生きるというところまではいかない。主人公の夏(樋口一葉、ね)を演じた桑原絵里子は、基本は受け身の芝居なのにポジティブでよく頑張っているが、周囲の面々が彼女を支えきれない。アンサンブルプレーのはずなのに、噛み合わないのはつらい。母親役の劇団大阪、夏原幸子が芝居をリードしていけたならいいのだが、彼女にもそれだけのゆとりはない。コメディリリーフではなく本当は芝居全体の要になるはずの花蛍(横田志保子)が芝居をリードできないのもつらい。役者の力量不足というのは簡単だがそれを補って余りある仕掛けが必要だったはずだ。それは演出の仕事だろう。
丁寧な芝居作りをしているし(演出は熊本一)舞台装置も立派なのだが(舞台美術は内山勉)役者たちがそれに応えきれていない。会話が弾まないので、芝居が空回りしていく。難しい芝居に挑戦して、これだけの健闘をしているのだから、それはそれで立派なのだが、1本の芝居として成功しているとは言い難い。
僕が見たのは星組公演で、本公演は月組とのダブルキャストで上演されている。12人のキャストがこのアンサンブルプレーにそれぞれ全力で挑んだはずだ。シニア劇団だからできること、シニアでも出来るんだということ。いろんな思惑もあるだろうが、これだけの大作に挑んだその心意気、それをよしとしよう。(ごめんなさい、この言い方は少し偉そうです)