
iakuの横山拓也さんの傑作舞台をなんと映画化。横山さんの芝居は大好きだし、もう30年くらいずっと彼の作品を見てきた。大阪芸大で旗上げした売込隊ビーム『トバスアタマ』を見た時からのファンだ。彼が昨年小説家としてもデビューし、今いろんなところで注目されているのがうれしい。ようやく世間が彼の才能に気づいた。そして今回の映画化である。
だが今回のこの映画化はやはり驚きだ。あの芝居が映画になるのか、と不思議な気がしたからだ。舞台の映画化は最近よくあるけど、あまり成功していない。作、演出で監督を手掛けるというパターンもある。(三浦大輔!)だが、舞台と映画は明らかに違うから同じアプローチでは成功は難しい。古い話で恐縮だが深作 欣二監督の『蒲田行進曲』のような例外もあるけど、そんな彼ですら『上海バンスキング』はあまりうまくいかなかったし。しかも今回台本は横山さん自身の手ではなく高橋泉が手掛ける。なんだか不安だった。だが、それが反対に吉と出た気がする。これでよかったのだ。iakuの『あつい胸さわぎ』ではなく、あのお話を原作とした映画作品としてこれは原作への確かなリスペクトをしたうえで、独自の世界を作り上げた。映画と芝居はちゃんと別物になった。もちろんどちらがいい、とかいう問題ではない。どちらもいい。
ただ原作にとらわれすぎて映画としてはいささか嘘くさい部分も散見するのは残念だ。もっと大胆に改変していい。18歳の女の子の「熱い想い」さえ外さなければ大丈夫だ。監督のまつむらしんごは原作世界を大事にした。(大事にしすぎるくらいに)彼女へのエールとしてこの映画を立ち上げた。それでいい。
芸大に進学して小説を書く。和歌山の実家から大阪に通う。母と子。二人暮らし。経済的には必ずしも豊かではないけど、母は彼女の応援をしてくれる。だから彼女は自由に青春を謳歌できる。大学生になり、これから夢に向かい、恋もする。はずだった。なのに乳がんになり、未来は不安だ。そんな女の子が主人公。
こう書き始めると誤解されそうだが、これはよくある難病物の映画ではない。若年性乳がんは初期段階で治療できるし、彼女は死なない。だが、18歳の女の子には過酷だ。まだ、私の胸を触ってくれた男の子はいないのに、自分の胸はなくなるかもしれないという不安を抱えて生きていくのだ。母親は(常盤貴子だ!)彼女のことを考えると胸が痛い。でも、よくある過保護な親ではない。彼女が娘を抱きしめるシーンは素晴らしい。リビングで座る彼女を後ろから抱く。そして、彼女の胸を触る。母親の優しさが胸にしみる。彼女は「やめてよ!」とか言うけど、母の想いがうれしい。娘の胸を揉むなんていうふざけた行為が切ない。まつむら監督はこの母と娘の小さな世界を大切に描く。原作の肝もそこにある。
18歳、大学1年の夏の日々。幼馴染の男の子への仄かな思慕。彼女の気持ちを知ってか知らずか、彼は彼女の母親の同僚である年上の女(前田敦子だ!)に心惹かれる。お話としてはよくあるパターンだけど、そこもさらりとしたタッチで描くから、嘘くさくはない。ただ、母の恋を描く部分は少し嘘くさい。母の職場に新しくやってきた上司が不器用に彼女に恋心を抱く。演じるのは三浦誠己だ! いつもの彼とはまるで違うキャラクターを演じていて悪くはないのだが、あまりにうぶ過ぎて少し嘘くさい。近所に住む障害を持つ男の子の存在もなんだかわざとらしい。たしかに周辺の人物はうまく描かれているし、ラストシーンでの彼とのさりげない会話も素敵だけど。
芝居なら納得がいくけど映画となるといささかキャラクターが象徴的過ぎてリアルではないのが惜しい。映画ならではのすばらしさは和歌山市雑賀崎がロケ地として選ばれたことだ。ロケーションが素晴らしい。この小さな港町を舞台にして古い一軒家でささやかに暮らす母と娘を包み込む。
ここには特別なことは何もない。やがて夏休みは終わり、これからまたいつものように変わりない毎日が始まる。この先どうなるかなんて、彼女だけではなく誰にとってもわからない。でも、だからこそ、普段通りの毎日は愛おしい。