『スリービルボード』は素晴らしかった。公開当時満足な宣伝もなく何の予備知識もなく見たのだが、衝撃的な傑作で驚いたことを覚えている。その衝撃はこのブログでも書いたはずだ。そしてまた今回、マーティン・マクドナー監督は思いもしないような映画を作る。見ながら「なんなんだこれは、」とずっと思い続けることになる。2時間ラストまで何が何だかわからない。こんな映画があっていいのか、と思う。いったい何を見たか、目を疑う。住民全員が顔見知りの小さな島で羊飼いをして暮らす中年男パードリック(コリン・ファレル)が主人公だ。ある日彼は長年の友人コルムから絶縁を言い渡されてしまう。
1923年。アイルランドのイニシェリン島(架空の島)が舞台だ。そこで暮らすふたりの男。彼らは年の離れた親友同士だった。毎日2時になると一緒に近所のパブに行き、ビールを飲むのが日課だ。だが、その日親友はやってこない。迎えに行ったのに、家にこもったまま返事もしない。その日機嫌が悪かっただけ、ではない。それどころか彼は「今後おまえとは絶縁する」という。自分は何か悪いことをしたか? 心当たりはなし。聞いても答えてくれない。
なぜこんなことになるのか、理解に苦しむ。昨日まで今まで通りだったのに、この日から拒絶される。いくら話しかけても相手にしてくれない。何が何だかわけがわからない。「お前と話すのが苦痛だった」とか「これからは音楽に専念したいから、つきあえない」とかの言われても納得がいくわけはない。このパードリックにとっては過酷なドラマはやがてさらなるありえない展開で、いったいこれは何事なのかと唖然とするばかりだ。
親友からの絶縁というお話の始まりから、異常な出来事が続く。暴力的な警官の過激な行為や、いささか知恵遅れ気味のその息子との交流。死を予告する老婆。これはある種の寓話的なお話なのかもしれないが、描写はあくまでもリアル。アイルランド本島では内戦が続き、戦火がここからも見れるけど、この島ではまるで関係ない。ただこの内乱と彼ら二人の関係は確かにシンクロはする。でも、そこがテーマではない。
これがファンタジーならなんでもありで納得するけどそういう雰囲気でもない。それにしてもあのリアルな指の切断が怖いし、それが5本になった時には恐怖しかない。拒絶のために指を切らなくてもいいじゃないか、と思うけど。しかも相手の指ではなく自分の指だし。ここまでくるともうホラーだ。
このわけのわからないお話が淡々と描かれていく。僕たちはそれを静かに目撃するだけ。死を意識したとき、残された時間を自分のしたいように生きようと決意したからつまらない友人との時間は切り捨てた、という説明はわからないでもない。でも、それじゃぁ、これまでの時間は何だったのか。嫌々ずっと付き合ってきたのか。音楽が大事なら、それはそれでいいじゃないかと思う。それと絶縁とは別問題だ。さらには指切断は言語道断。
見た後でいろんな評論とか感想を雑誌やネットで読んだけど、どれにもまるで納得しない。では、これがつまらないのかというと、もちろんそうではない。とても刺激的で面白かったのだ。でも、まるでわけがわからないのも事実。納得が欲しいのではない。このわけのわからない不思議がいつまでも心をざわつかせるのだ。あまりに美しすぎる風景のなかで描かれる素朴な住人たちの残酷なドラマ。この象徴的なドラマが意味するもののわからなさ。こんな映画見たことがない。優れた映画だとは思う。だけど、やはりこれはよくわからない映画なのだ。