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映画・演劇のレビュー

瀬尾まいこ『傑作は、まだ』

2020-03-20 10:37:46 | 映画

20年どころか25年以上、ずっと、誰とも関わらずにひとりで小説だけを書いて生きてきた男。そんな彼のところに、息子がやってくる。息子だけど、一度も会ったことはなかった。生まれる前から今日まで25年間。誕生から25歳までは毎月1回1枚ずつ写真が送られてきたから顔は知っている。この世に存在するという事はわかっていたけど、自分からは会おうともしなかった。養育費だけは毎月送っていただけ。そんな息子がいきなりやってきてしばらく同居したいという。戸惑いながらも受け入れる。お話はそこから始まる。

確かに他人ではないけど、息子という自覚もなく、というか、彼は今まで人と(誰かと)一緒に暮らすという事を経験してなかった。初めて「家族」と共にする。でも、なんか実感は湧かないし、何なのか、わけがわからない。

小説家として「傑作は、まだ」書けていない、という単純なタイトルなのだけれど、実は「人生は、まだ」始まらないという意味でもある。25年以上プロの小説家として生きてきたのに。いや、50年も人間として生きてきた。でも、まだ彼は実人生との接点はなかったのかもしれない。

そんな彼が生身の「息子」と向き合い、今まで、気にもしなかったこの世界の様々なものと出会い、生きているとはどういうことなのかを知る。この200ページほどの短い小説を通して、なぜか、とても心揺さぶられた。動揺している。それは僕自身もこの男と同じで、自分の世界世界でしか生きてこなかったからだ。社会人として、38年間生きてきたはず。でも、今の仕事以外のことはしたことがない。この3月末で定年退職を迎え、ここから何かを始めなくてはならないはずなのに、どうしたらいいかわからない。

このとてもあっさりした小説は、新しい局面を受け止めて、今まで気にもしなかったこと(いや、気にしろよ! 人間なら、ちゃんとそこと向き合うべきだった、はずなのに)と向き合うことで、ほんとうの自分を見つけるお話だと思う。

息子がなぜ、今ここにやってきたのか、という謎解き部分も含めて、とてもよくできている。確かにご都合過ぎで、上手くできすぎ、って気もするけど。しかし、それがとってつけたようにはならない。そこも含めてあっさりとしているのがいい。だから、よけいに心に沁みる。これはちょっした寓話なのだと思うといい。小説の中で生きてきた50男が一歩踏み出す瞬間を捉えた。これはそんな小さなファンタジー。


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