これはあまりに無茶苦茶な映画だ。お話自体がどんどん横滑りして行き、気が付くと思いもしないところに連れて行かれている。もちろん原作は発売された時に読んでいるから、ストーリーがどうなるのかは、充分知っている。とんでもない話だ、なんて先刻承知の上で見たのに、驚かされた。このドライブ感の虜になった。さすが、森田芳光監督だ。『間宮兄弟』で『家族ゲーム』の20年後とでも言うべき続編を作ったのに、今回はさらにその後、と思わせておいて、実は全く違うストーリー・テラー振りを発揮する。
東京編、と沖縄編の2部構成になっており、2本立の映画を見せられた気分だ。まるで、雰囲気の違う映画になっている。原作はあれだけの長編なのでゆっくりとしたスピードですすんでいくから、この映画のような慌しさはない。こうして2時間以内の映画にまとめたらストーリーの唐突な展開に改めて驚くことになる。
ゆっくりと状況を楽しみながら彼ら家族を追いかけていく余裕はこの映画にはない。ただ、主人公である父親、一郎を演じる豊川悦司がニタニタしながら、この状況を楽しんでいるように行動してくれるので、原作のオヤジにあったわけのわからなさが緩和され、よかった。小説の一郎は、もっとモンスターで、コイツとだけは関わりあいたくないというくらいに超越した存在として描かれていた。それがあの小説の面白さなのだが、映画は飄々としたオヤジで、アプローチが違う。といっても基本的なストーリーは同じなので、あれよ、あれよ、という間にとんでもないことになっていく。
「ナンセンス」が口癖の全共闘崩れの過激派オヤジと、彼についていく家族の物語は、とんでもないことになっていくが、本人は全く無頓着で、なるよになるさ、とでも思っているようだ。原作の居心地の良さとは、裏腹にこの映画はとても居心地が悪い。それは、小説がファンタジーだったのに、映画はリアルになっていることにもよる。本来の主人公である小6の息子、二郎の視点から映画は描かれているはずなのに、父親がどこまでも暴走していくから、二郎の影は薄い。ただ、常識的なこの子が、いるから映画は危ういところでしっかりバランスが取れる。
森田芳光はこの映画をいったいどういうつもりで作ったのだろうか。「これは、森田版『地獄の黙示録』だ」なんてどっかで読んだ批評に書いてあったが、それってどういう意味だったんだろう。カーツのように一郎は暴君として『闇の奥』に君臨するわけではない。とはいえ、彼は周囲を巻き込んで、自分の理想郷を作ろうとして、結果的には彼の王国は崩壊していく。国家権力の前では(というか、土建屋の有無を言わせぬ破壊なのだが)なす術もない。しかし、彼はそんなこと全く気のもしないで、懲りることなく、さらなる冒険の旅に出るのだ。
基本的なストーリー・ラインは原作と同じなのだが、単なるダイジェストにはなってない。ディテールを重視して、自分の色にこの長編を染めていく。これだけの波乱万丈な話を、いつものように家族をテーマにした自分の世界で染め上げていく。「日本人やめた」という彼のセリフがあるが、この言葉がこの映画のキーワードである。はたして、我々はこの国に居ながら、日本人をやめることが出来るか。ここには、そのための大冒険が描かれる。ラストで、≪さくらと一郎≫は(この名前って、きっと意識的につけてるよな。『昭和枯れすすき』だもんね。)パイパティローマ目指して船出する。このラストも幻の理想郷ではなく、僕には、この日本のどこか、に思える。今、何が必要なのか、森田流の答えがここにはある。
東京編、と沖縄編の2部構成になっており、2本立の映画を見せられた気分だ。まるで、雰囲気の違う映画になっている。原作はあれだけの長編なのでゆっくりとしたスピードですすんでいくから、この映画のような慌しさはない。こうして2時間以内の映画にまとめたらストーリーの唐突な展開に改めて驚くことになる。
ゆっくりと状況を楽しみながら彼ら家族を追いかけていく余裕はこの映画にはない。ただ、主人公である父親、一郎を演じる豊川悦司がニタニタしながら、この状況を楽しんでいるように行動してくれるので、原作のオヤジにあったわけのわからなさが緩和され、よかった。小説の一郎は、もっとモンスターで、コイツとだけは関わりあいたくないというくらいに超越した存在として描かれていた。それがあの小説の面白さなのだが、映画は飄々としたオヤジで、アプローチが違う。といっても基本的なストーリーは同じなので、あれよ、あれよ、という間にとんでもないことになっていく。
「ナンセンス」が口癖の全共闘崩れの過激派オヤジと、彼についていく家族の物語は、とんでもないことになっていくが、本人は全く無頓着で、なるよになるさ、とでも思っているようだ。原作の居心地の良さとは、裏腹にこの映画はとても居心地が悪い。それは、小説がファンタジーだったのに、映画はリアルになっていることにもよる。本来の主人公である小6の息子、二郎の視点から映画は描かれているはずなのに、父親がどこまでも暴走していくから、二郎の影は薄い。ただ、常識的なこの子が、いるから映画は危ういところでしっかりバランスが取れる。
森田芳光はこの映画をいったいどういうつもりで作ったのだろうか。「これは、森田版『地獄の黙示録』だ」なんてどっかで読んだ批評に書いてあったが、それってどういう意味だったんだろう。カーツのように一郎は暴君として『闇の奥』に君臨するわけではない。とはいえ、彼は周囲を巻き込んで、自分の理想郷を作ろうとして、結果的には彼の王国は崩壊していく。国家権力の前では(というか、土建屋の有無を言わせぬ破壊なのだが)なす術もない。しかし、彼はそんなこと全く気のもしないで、懲りることなく、さらなる冒険の旅に出るのだ。
基本的なストーリー・ラインは原作と同じなのだが、単なるダイジェストにはなってない。ディテールを重視して、自分の色にこの長編を染めていく。これだけの波乱万丈な話を、いつものように家族をテーマにした自分の世界で染め上げていく。「日本人やめた」という彼のセリフがあるが、この言葉がこの映画のキーワードである。はたして、我々はこの国に居ながら、日本人をやめることが出来るか。ここには、そのための大冒険が描かれる。ラストで、≪さくらと一郎≫は(この名前って、きっと意識的につけてるよな。『昭和枯れすすき』だもんね。)パイパティローマ目指して船出する。このラストも幻の理想郷ではなく、僕には、この日本のどこか、に思える。今、何が必要なのか、森田流の答えがここにはある。