前作を超えるような映画を作ることは不可能である。なぜなら、あれは一回こっきりの《夢の再現》だからだ。
夢は、1度だから、美しい。昭和33年。今から50年近く前の日本、東京。あの頃の思い出がいっぱい詰まった風景をもう一度、見せる。たった一度の魔法だからこそ、みんなはその世界を心から愛せた。これは夢なんだ、と思いながらその心地よい夢の世界を満喫した。
懐かしい風景、人々、笑顔。日本人がまだまだ貧しかった時代。でも明日を夢見ていた頃。『ALWAYS』はあの頃の思い出を物語にして、綴った。みんなが抱いていた共通の夢。高度成長期の幻を映画として見せたのだ。
だけれど、それは2度はない。2度目はもう現実だ。夢ではない。そんな夢の残滓を追い求めても虚しいだけだ。この映画はそんな虚しい徒労に精魂傾ける。それを、無駄というのは容易い。しかし、敢えてそれに挑む。
愚かな行為かもしれない。映画を見ながら、何度も見なければよかった、と後悔していた。もし、DVDなら、途中で止めていたことだろう。でも、映画館ではそんなことは出来ない。満員の劇場から途中で出るわけにも行かない。だいたい、映画がつまらないのではないのだ。ただ心苦しいのだ。
いささか苦痛だったが、それでも最後まで見た。前作のラストと同じように、みんなで夕日を見るラスト・シーンを見て、最後まで見てよかったと思った。これだけの徒労の果てにあるものは、生きていくことは、こんなふうに苦しみながらも、そこに幸福を見出していくことなのだ、と思わされた。
ここには、お金では買えないものがある。貧しいけれど豊かだった時代。もちろんそんな甘っちょろいことを描いているから、この映画は駄目なんだ、という声も聞こえてきそうだ。
しかし、いろんなこと、解った上でこの映画は作られている。「何よりも大切なもの。」それをこの映画はこんなにも単純に描く。そして、そのことが、これだけの困難を伴う。この映画のスタッフはとんでもない努力をしている。その果てにこの《甘く優しいだけ》の映画があるのだ。いろいろ思うところはあるが、この映画を、僕は認めなくてはならないと思った。理屈を超越した大切なものがここには、たくさん詰まっている。前作の二番煎じを敢えてする。2度はないことを愚鈍にも[二度]もする。苦しいくらいの優しさの果てに、この映画はしっかりとしたメッセージを残す。
山崎貴監督はこの映画を、SFを撮っている時と同じスタンスで作っている。これは、未来のお話でもある。監督自身がまだ生まれても居ない頃、見た事もない世界を描く。彼はこの世界を、今だ見た事もない空想の世界として見せる。
鈴木オートに預けられていた少女が、父親が迎えに来てくれ、去っていく場面がある。あのシーンを見ながら、子どもの頃、徳島のお祖母ちゃん宅から、大阪に帰る日の切ない気持ちを思い出していた。田舎の親戚の子供たちと別れて船に乗る。夏休みが終わり、2学期が始まる。いつも泣きたくなった。幸せな時間にはどうして終わりがくるのだろう、と思った。そんな子供時代の想いが甦ってきた。ここには、子供の頃のどうしようもない気持ちがとてもよく描かれてある。
家族で、手をつないで夕日を見た事なんてあったのだろうか。きっとありえたに違いない。そんな失われた記憶を噛み締めていた。
夢は、1度だから、美しい。昭和33年。今から50年近く前の日本、東京。あの頃の思い出がいっぱい詰まった風景をもう一度、見せる。たった一度の魔法だからこそ、みんなはその世界を心から愛せた。これは夢なんだ、と思いながらその心地よい夢の世界を満喫した。
懐かしい風景、人々、笑顔。日本人がまだまだ貧しかった時代。でも明日を夢見ていた頃。『ALWAYS』はあの頃の思い出を物語にして、綴った。みんなが抱いていた共通の夢。高度成長期の幻を映画として見せたのだ。
だけれど、それは2度はない。2度目はもう現実だ。夢ではない。そんな夢の残滓を追い求めても虚しいだけだ。この映画はそんな虚しい徒労に精魂傾ける。それを、無駄というのは容易い。しかし、敢えてそれに挑む。
愚かな行為かもしれない。映画を見ながら、何度も見なければよかった、と後悔していた。もし、DVDなら、途中で止めていたことだろう。でも、映画館ではそんなことは出来ない。満員の劇場から途中で出るわけにも行かない。だいたい、映画がつまらないのではないのだ。ただ心苦しいのだ。
いささか苦痛だったが、それでも最後まで見た。前作のラストと同じように、みんなで夕日を見るラスト・シーンを見て、最後まで見てよかったと思った。これだけの徒労の果てにあるものは、生きていくことは、こんなふうに苦しみながらも、そこに幸福を見出していくことなのだ、と思わされた。
ここには、お金では買えないものがある。貧しいけれど豊かだった時代。もちろんそんな甘っちょろいことを描いているから、この映画は駄目なんだ、という声も聞こえてきそうだ。
しかし、いろんなこと、解った上でこの映画は作られている。「何よりも大切なもの。」それをこの映画はこんなにも単純に描く。そして、そのことが、これだけの困難を伴う。この映画のスタッフはとんでもない努力をしている。その果てにこの《甘く優しいだけ》の映画があるのだ。いろいろ思うところはあるが、この映画を、僕は認めなくてはならないと思った。理屈を超越した大切なものがここには、たくさん詰まっている。前作の二番煎じを敢えてする。2度はないことを愚鈍にも[二度]もする。苦しいくらいの優しさの果てに、この映画はしっかりとしたメッセージを残す。
山崎貴監督はこの映画を、SFを撮っている時と同じスタンスで作っている。これは、未来のお話でもある。監督自身がまだ生まれても居ない頃、見た事もない世界を描く。彼はこの世界を、今だ見た事もない空想の世界として見せる。
鈴木オートに預けられていた少女が、父親が迎えに来てくれ、去っていく場面がある。あのシーンを見ながら、子どもの頃、徳島のお祖母ちゃん宅から、大阪に帰る日の切ない気持ちを思い出していた。田舎の親戚の子供たちと別れて船に乗る。夏休みが終わり、2学期が始まる。いつも泣きたくなった。幸せな時間にはどうして終わりがくるのだろう、と思った。そんな子供時代の想いが甦ってきた。ここには、子供の頃のどうしようもない気持ちがとてもよく描かれてある。
家族で、手をつないで夕日を見た事なんてあったのだろうか。きっとありえたに違いない。そんな失われた記憶を噛み締めていた。