習慣HIROSE

映画・演劇のレビュー

『夏音』

2007-10-24 19:07:16 | 映画
 歌手のIZAMが初めて監督した青春映画。2,3分見て、「これは、あかんわ」と思ったがせっかくレンタルしてきたのに、見ずに返すのは勿体無いので、しかたなく一応最後まで見ることにした。

 高校生たちが文化祭のために8ミリフイルムで映画を撮る、というお話。これを現代の設定にするのは不可能だろう。8ミリフイルムなんてもうどこにもないのではないか。もし、それでも敢えて8ミリに拘るというのなら、この映画は面白いのではないか、なんて思った。なのに、簡単に8ミリ映画を撮ってるよ、この映画の高校生は。彼らはいつの時代の人たちなんだろう。設定は80年代くらいなのか?そんなふうにはまるで見えなかったが。

 個人的には「高校生」「8ミリ」「文化祭」という3アイテムで、それだけで借りてしまった自分が悪いのだが、加勢大周のヤクザのおじさんなんて、最悪で彼が映画のキーマンだったりするから後半は見てられない。

 タイトルは素敵だし、おきまりのこととはいえ、美少女が出てきて、彼女をヒロインに映画を作り、密かに恋をする、なんていういかにもなパターンが、ほんの少しノスタルジックな気分を刺激する。騙そうとしたわけではなく、この映画がひたすら拙いだけなのだが。それにしても、高校生の頃のオレらが作っていた8ミリ映画と同じくらいのレベルではないか。プロのスタッフを使い1時間40分のきちんとした長さの劇場用長編映画なのに、ここまで杜撰で、チャチな映画ってないよ、と思う。

 なぜ、今8ミリなのか、ということへの拘りが曖昧すぎる。今時の高校生は8ミリカメラなんか見た事がないはずだ。そんな子供がなぜ8ミリで映画を作るのか。いくら、押入れから出てきた昔の8ミリに撮られていた少女に恋をしてしまったから、って。それだけでは弱い。フイルムへの愛がなくては成立しない、と思うが。ビデオで撮れば安上がりだし、なのになぜ、もう生産されてない8ミリフイルムなんだか。(しかも、この映画自身は35ミリのフイルムでなく、当然のようにビデオ撮りなんだから、呆れてものも言えない。愛がないよ、この映画には。)

 さて、押入れにあったおじさんが高校生だった頃撮った映画に出てきた少女そっくりの女の子が転校してくる。こういう導入部は、これはこれで素敵だと思う。設定はベタベタながら、上手く作れば心地良くだまされそうな話なのだ。ほんと、がっかり。

 この映画の駄目なところをあげつらっていけば、もう際限がない。だから、一切書かない。せっかくの題材をここまで無残なものにしてしまえる、って別の意味で凄すぎる。行定勲あたりが撮っていたなら、必ず凄く切ない映画が出来ただろう。『クローズド・ノート』のような嘘っぽい話であれだけ、乗せてくれたのだから。

 昨年の『虹の女神』はよかったが、あれは大学生の話だったから、今回のケースとは少し違う。出来るなら、きちんとこういう世界を描いた青春映画の決定版が1本あってもいい、と思う。70年代の高校生たちの姿を等身大で描く究極のプライベート・フイルムの傑作を誰か、作ってくれないものか。まぁ、誰も作らないのならば、僕が作ってもいいのだが、きっと出来はIZAM以下だったりして。才能がないというのは、ほんとに哀しいことだ。だいたい僕に出資してくれる映画会社なんてないし。

 実は、昔、映画監督になりたかった。藤田敏八の『帰らざる日々』みたいな映画を作りたい、と思っていた。高校生を主人公にして、かけがえのない日々を誠実に描く青春映画が作りたかった。もう、30年も前の話だ。今はそんなだいそれたこと、一切思わない。

 そんなことより、現役の高校生とリアルタイムで毎日遊んでいるほうが、ずっと楽しいからだ。それでも、時々、昔の古傷が疼くように、こういう題材の映画に食指がそそられることがある。と、いってもこの映画を見た今では「もう、こういう映画は見るな!」と言われた気分なので、しばらくは見ない。干渉に浸ってもろくなことがない、という話だ。

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