万城目学の小説の映画化第3弾である。先の2本以上にバカバカしくて壮大なこのお話をどう仕上げるのか、興味深々で試写に臨んだわけだが、正直言うと、これは最初から負け戦だな、と思っていた。それはこの作者たちが(監督も脚本家も知らない人だった。水落豊監督)悪いのではなく、すべての原因は原作者にある。
これは一見すると、とても映画向けの題材であるにもかかわらず、その実は映画にするのがとても難しい企画なのだ。しかも、原作は後半になると急に失速する。なのに、ドラマ化するのなら後半にウエイトを置くしかない。でも、そんな映画向けのスペクタクルな展開がある後半は今の時代では意味をなさない。もう誰もその程度の特撮では驚かないからだ。CGを使うと、もうなんでも出来るような時代だから、映画は映像で見せるよりも、お話の力で見せるべきなのかもしれない。そういう意味でこの映画はもっとディテールの面白さを大切にして積み重ねていくべきなのだ。原作はそうしている。だが、そうするとこれは2時間には収まらない。
バランスについてはかなり考えたはずだし、映画も前半(掴みの部分)は、よく出来ていた。これで話を知らなかったなら、もっと驚くはずだ。でも、僕も含めこの映画化に興味を抱くような人はみんな万城目のファンだろうから、お話はすでに細部まで知っている。そうなると、原作を大きく離れた新展開が望まれるところとなるのだが、それをするとこの小説を映画化する意味がなくなるし、ひんしゅくだろう。ということで、難しいというのだ。
キャスティングがなかなか見事で、岡田将生の高1なんてありえねぇ、と思うけど、見事はまっている。もちろん、濱田岳は大丈夫だし。深田恭子の清子さんも綺麗すぎるけど、映画だし、ぴったり。しかも、ちゃんと豆タンク(の、はず)の濱田岳と姉弟に見える。超美人ではなく、いささかチビでぶ、でもある、なんて凄い。
学園もの、として最後までのんきな映画として全体を構成出来たなら、楽しかったのだが、オリジナルがそうではなく、棗家と日出家の確執だけではなく、巨大な悪に彼らが力を合わせて立ち向かう話というよくあるパターンになっているので、仕方ない。しかも、そこに琵琶湖が2つに割れて(モーゼの十戒だ!)道ができるとか、龍神のおつげとか、サイキックバトルもあったり、ちょっとしたスペクタクルなのだ。どうしようもない。
しかし、この話の魅力はそこにはないことは明白である。バカバカしい設定の妙を生かして、クスクス笑わせるしょぼいお話であるべきだ。お殿さまとお供の掛け合いの面白さ。彼らが浮きまくりつつ、楽しい高校生活をエンジョイする、という、そういう日常描写をどこまで丁寧に見せていけるのかが話のカギである。個々のキャラクターを生かしたのんきな学園ものというスタンスを守ってラストまで持って行けたなら、これはきっと凄い映画になったことだろう。でも、それは当然ありえない。
これは一見すると、とても映画向けの題材であるにもかかわらず、その実は映画にするのがとても難しい企画なのだ。しかも、原作は後半になると急に失速する。なのに、ドラマ化するのなら後半にウエイトを置くしかない。でも、そんな映画向けのスペクタクルな展開がある後半は今の時代では意味をなさない。もう誰もその程度の特撮では驚かないからだ。CGを使うと、もうなんでも出来るような時代だから、映画は映像で見せるよりも、お話の力で見せるべきなのかもしれない。そういう意味でこの映画はもっとディテールの面白さを大切にして積み重ねていくべきなのだ。原作はそうしている。だが、そうするとこれは2時間には収まらない。
バランスについてはかなり考えたはずだし、映画も前半(掴みの部分)は、よく出来ていた。これで話を知らなかったなら、もっと驚くはずだ。でも、僕も含めこの映画化に興味を抱くような人はみんな万城目のファンだろうから、お話はすでに細部まで知っている。そうなると、原作を大きく離れた新展開が望まれるところとなるのだが、それをするとこの小説を映画化する意味がなくなるし、ひんしゅくだろう。ということで、難しいというのだ。
キャスティングがなかなか見事で、岡田将生の高1なんてありえねぇ、と思うけど、見事はまっている。もちろん、濱田岳は大丈夫だし。深田恭子の清子さんも綺麗すぎるけど、映画だし、ぴったり。しかも、ちゃんと豆タンク(の、はず)の濱田岳と姉弟に見える。超美人ではなく、いささかチビでぶ、でもある、なんて凄い。
学園もの、として最後までのんきな映画として全体を構成出来たなら、楽しかったのだが、オリジナルがそうではなく、棗家と日出家の確執だけではなく、巨大な悪に彼らが力を合わせて立ち向かう話というよくあるパターンになっているので、仕方ない。しかも、そこに琵琶湖が2つに割れて(モーゼの十戒だ!)道ができるとか、龍神のおつげとか、サイキックバトルもあったり、ちょっとしたスペクタクルなのだ。どうしようもない。
しかし、この話の魅力はそこにはないことは明白である。バカバカしい設定の妙を生かして、クスクス笑わせるしょぼいお話であるべきだ。お殿さまとお供の掛け合いの面白さ。彼らが浮きまくりつつ、楽しい高校生活をエンジョイする、という、そういう日常描写をどこまで丁寧に見せていけるのかが話のカギである。個々のキャラクターを生かしたのんきな学園ものというスタンスを守ってラストまで持って行けたなら、これはきっと凄い映画になったことだろう。でも、それは当然ありえない。