今回の中村賢司さんには迷いがない。普通ならこの難しい題材を取り上げてどういう切り口で見せるのかは悩むはずだ。いくつもの逡巡があり、それでもどうしたらいいか、わからない。誰もが苦しんで、自分を責める。あるいは逃げ出す。たとえ自分の父親であっても、まず今の自分の家族があるし、生活もある。そこに抱え込むのは、困難だ。認知症の父親の介護。田舎の家で一人暮らしをする父が惚けてきた。誰かがいなくては危険な状態になる。深夜徘徊も含めて近所に迷惑をかけている。もう今のままでは無理だ。こんなにもわかりやすい設定を提示する。今では家を出てそれぞれ別々の生活をしている3人兄妹が集まって対策を立てる。
冒頭でのやり取りに戸惑う。石塚博章演じる長男のハイテンションについていけない。大声を出して罵る。妹と弟に対しての態度。なんだ、こいつは、と思わせる。芝居を間違えているのではないか、と心配になるほどだ。妹も弟も彼の演技に引っ張られて、同じように対する。こんな微妙な問題を扱うのに、このやり取りはどうなのか、心配する。でも、演出の中村さんは気にしない。というか、楽しんでいるようなのだ。静観している。演出が意図したのではない。普段の中村さんならこういう芝居はさせない。役者が暴走したとしか思えない。そして、満を持して父親の登場である。南勝が演じる。当然のように南勝さんもまたハイテンションの芝居をする。収集がつかなくなる。
もちろん、これは明らかに意図的な作り方であることは、近所の夫婦の登場で明白になる。この勝手気ままな夫婦には唖然とさせらる。ここまできて、今回の意図が明確になる。暴走させるのだ。自分の正しさに向けて全力で。そうするしか、道はない。追い詰められたとき、逡巡している暇はない。決断すべきときは、悩まない。誰が正しくて、誰が間違いだ、なんていう明確な答えはどこにもない。
中村さんの今回の意図はそこにある。90分という短い上演時間もまた、この作品の内容に沿う。ぶつけあい、すり合わさない。ヘルパーやケアマネージャーという周囲の人間がとても親身にこの家族の問題を受け止める。家族をちゃんとフォローする。深く関わりあれこれと干渉してくるのではなく、ただ、丁寧に自分たちの仕事をこなそうとする。その誠実さがうれしい。彼らの距離の取り方が、熱くなる兄妹たちにとって、実に心地よい緩衝地帯となる。あまりに勝手な近隣の夫婦もまた、実は彼らの問題を内包しており、そこが見え隠れしたとき、その勝手に見えた一面すら、それだけではないのだ、と思わせる。
困難を突き付けられた彼らに対して作者の答えはどうか。気になるところだが、そこにも啞然とする。彼の提示した答えがあまりに単純明快だからだ。彼はこう言う。「答えはない。」と。それぞれがそれぞれのアプローチで自分の信じるようにするしかない。正しい答えなんかどこにもないからだ。だから、それでいいではないか、というのである。投げ出したのではないことも明確だ。ちゃんと向き合うからこういう答えが出る。あたりまえでありきたりな結論がこんなにも胸に痛い。
最後に父親にどう言わせるのかも気になった。彼を蚊帳の外にして話を終わらせるわけにはいかない。だが、声高に何かを言わせるのではない。彼もまた何も言わないことで、われわれ観客はいろんなことを考えさせることになった。演出は南さんのたたずまいを見せるだけでよいと判断したのだろう。いい判断だ。キャストを信じて、彼らの判断に任せる。そういうアプローチが結果的にこの芝居の方向性を決定付ける。
冒頭でのやり取りに戸惑う。石塚博章演じる長男のハイテンションについていけない。大声を出して罵る。妹と弟に対しての態度。なんだ、こいつは、と思わせる。芝居を間違えているのではないか、と心配になるほどだ。妹も弟も彼の演技に引っ張られて、同じように対する。こんな微妙な問題を扱うのに、このやり取りはどうなのか、心配する。でも、演出の中村さんは気にしない。というか、楽しんでいるようなのだ。静観している。演出が意図したのではない。普段の中村さんならこういう芝居はさせない。役者が暴走したとしか思えない。そして、満を持して父親の登場である。南勝が演じる。当然のように南勝さんもまたハイテンションの芝居をする。収集がつかなくなる。
もちろん、これは明らかに意図的な作り方であることは、近所の夫婦の登場で明白になる。この勝手気ままな夫婦には唖然とさせらる。ここまできて、今回の意図が明確になる。暴走させるのだ。自分の正しさに向けて全力で。そうするしか、道はない。追い詰められたとき、逡巡している暇はない。決断すべきときは、悩まない。誰が正しくて、誰が間違いだ、なんていう明確な答えはどこにもない。
中村さんの今回の意図はそこにある。90分という短い上演時間もまた、この作品の内容に沿う。ぶつけあい、すり合わさない。ヘルパーやケアマネージャーという周囲の人間がとても親身にこの家族の問題を受け止める。家族をちゃんとフォローする。深く関わりあれこれと干渉してくるのではなく、ただ、丁寧に自分たちの仕事をこなそうとする。その誠実さがうれしい。彼らの距離の取り方が、熱くなる兄妹たちにとって、実に心地よい緩衝地帯となる。あまりに勝手な近隣の夫婦もまた、実は彼らの問題を内包しており、そこが見え隠れしたとき、その勝手に見えた一面すら、それだけではないのだ、と思わせる。
困難を突き付けられた彼らに対して作者の答えはどうか。気になるところだが、そこにも啞然とする。彼の提示した答えがあまりに単純明快だからだ。彼はこう言う。「答えはない。」と。それぞれがそれぞれのアプローチで自分の信じるようにするしかない。正しい答えなんかどこにもないからだ。だから、それでいいではないか、というのである。投げ出したのではないことも明確だ。ちゃんと向き合うからこういう答えが出る。あたりまえでありきたりな結論がこんなにも胸に痛い。
最後に父親にどう言わせるのかも気になった。彼を蚊帳の外にして話を終わらせるわけにはいかない。だが、声高に何かを言わせるのではない。彼もまた何も言わないことで、われわれ観客はいろんなことを考えさせることになった。演出は南さんのたたずまいを見せるだけでよいと判断したのだろう。いい判断だ。キャストを信じて、彼らの判断に任せる。そういうアプローチが結果的にこの芝居の方向性を決定付ける。