林海象監督がこだわり続ける探偵映画。この『探偵事務所5』シリーズのようなマイナーな映画にちゃんと続編が出来てしまうなんてそれだけで驚く。前作も2本立(一応1本の映画なのだが、前半と後半で主人公が変わり、話も別物となっていた)で、最初からシリーズ仕立てになっていたが、本当に続編が登場した。林監督はそのデビュー作『夢見るように眠りたい』の時代から一貫して探偵映画にこだわり、それは趣味の域を出ないものながらも、だからこそ、その拘りがここまでマニアックに続くことに驚きを禁じ得ない。自主映画から始まり一応商業映画の世界でこんなにも自分の世界だけに拘れるような映画作家はいない。
これは趣味のような映画だ。だが自主映画の閉じた世界ではない。娯楽映画としてよく出来ているし、けっこうな大作である。ただ今時こういう映画に足を運ぼうというような奇特な人は数えるほどしかいない。ということは商品としては成立しないということだ。先の濱マイクシリーズもあんなにもマニアックな作品なのに、よくも3作作られたものだ、と今にして思う。まぁ、あれはTVシリーズにもなったからあれだが、今回はそれすらない。
世の中にはよくわからないことがたくさんある。でも、そのよくわからないことをやり遂げる林海象はすごい。今回宍戸錠が全面的に登場する。A(エース)のジョー役だ。日活アクション映画なんて今時の若い人には通用しない。しかも、それを懐かしく思う人は映画は見ない。だいたいこんなクラシカルな探偵映画を現代に作ろうだなんて大胆にも程がある。
今回の映画はホームグランドの川崎から離れて上海が舞台だ。現代の魔都、上海、なんてもう誰も思わない。一体いつの時代の話だ、と思う。でも、林海象にかかればちゃんと上海が『魔都』になる、時代錯誤ではなく、今を舞台にしながらそのまま時代がそこにフォーカスされる。荒唐無稽な話が本気で描かれ、その懐かしい世界にいざなわれることとなる。
暗号の解読が専門の探偵507(尾上菊之助)が、解読不可能の暗号を解き明かすために上海に行く。そこで謎の歌姫(稲森いずみ)と出逢い、彼女の背中に描かれた暗号の謎を解明する。それだけのお話だ。そこにマフィアやら、旧日本軍の生き残りの男だとかが、絡んでくる。これはただのお話である。ここには思想とか重苦しいテーマとか、何もない。娯楽活劇だが、スタイリッシュで趣味的世界だ。好きな人だけをターゲットにした閉じた映画だ。こういうものが確かに作られる。僕はそれって奇跡だと思う。胸を張ってただ好きなことをしてる、と言う。そんな自由な映画を作れる林海象って凄い。それをマニアックなだけの自主映画にせず商業映画に仕立ててしまう。普通ならありえないことだ。
これは趣味のような映画だ。だが自主映画の閉じた世界ではない。娯楽映画としてよく出来ているし、けっこうな大作である。ただ今時こういう映画に足を運ぼうというような奇特な人は数えるほどしかいない。ということは商品としては成立しないということだ。先の濱マイクシリーズもあんなにもマニアックな作品なのに、よくも3作作られたものだ、と今にして思う。まぁ、あれはTVシリーズにもなったからあれだが、今回はそれすらない。
世の中にはよくわからないことがたくさんある。でも、そのよくわからないことをやり遂げる林海象はすごい。今回宍戸錠が全面的に登場する。A(エース)のジョー役だ。日活アクション映画なんて今時の若い人には通用しない。しかも、それを懐かしく思う人は映画は見ない。だいたいこんなクラシカルな探偵映画を現代に作ろうだなんて大胆にも程がある。
今回の映画はホームグランドの川崎から離れて上海が舞台だ。現代の魔都、上海、なんてもう誰も思わない。一体いつの時代の話だ、と思う。でも、林海象にかかればちゃんと上海が『魔都』になる、時代錯誤ではなく、今を舞台にしながらそのまま時代がそこにフォーカスされる。荒唐無稽な話が本気で描かれ、その懐かしい世界にいざなわれることとなる。
暗号の解読が専門の探偵507(尾上菊之助)が、解読不可能の暗号を解き明かすために上海に行く。そこで謎の歌姫(稲森いずみ)と出逢い、彼女の背中に描かれた暗号の謎を解明する。それだけのお話だ。そこにマフィアやら、旧日本軍の生き残りの男だとかが、絡んでくる。これはただのお話である。ここには思想とか重苦しいテーマとか、何もない。娯楽活劇だが、スタイリッシュで趣味的世界だ。好きな人だけをターゲットにした閉じた映画だ。こういうものが確かに作られる。僕はそれって奇跡だと思う。胸を張ってただ好きなことをしてる、と言う。そんな自由な映画を作れる林海象って凄い。それをマニアックなだけの自主映画にせず商業映画に仕立ててしまう。普通ならありえないことだ。