習慣HIROSE

映画・演劇のレビュー

ポケット企画『おきて』

2023-01-28 10:01:57 | 演劇

とんでもない勘違い。タイトルの「おきて」は「掟」だと思っていたのだが、なんと「起きて」だった。このひらがなはなんだか、曲者だ。漢字ならそんなアホな誤解は生じない。でも、あえてひらがな。しかも「おきて!」でもなく、ましてや「起きて!」は当然なく「おきて」である。(しつこい)

このひらがな表記がさかんにスクリーンに投影される。スクリーンというけど、それは下手側に垂れ幕のように掛かる部分だ。その白くて透明な紗幕の後ろに女がいる。その女にスポットが当たるのではなく、上手側、二人の男とその後ろに不思議な態勢で寝転がる少女の側からお話が始まる。ふたりは兄弟のようだ。これから祖父の葬儀に向かう。じいちゃんが死んだ。そこから始まるドラマは通常の展開を拒否する。なんだかよくわからない流れで葬儀までのドラマ(なのか?)は綴られていくことになる。

車の後ろで寝ていたのは兄の娘で、彼女には自分の未来が見える。その見た未来のなかで大人になった彼女はダンスのインストラクターをしている。下手側スクリーン垂れ幕の背後にいたシルエットの女だ。少女と女のやりとり、兄と弟、そして死んだ祖父。5人のそれぞれのドラマは別々に、ところどころは重なり展開する。

葬儀の話のはずなのに、お話のテーマは「ヨロコビ」。作、演出、出演の三瓶竜大が当日パンフにはそう書いている。「よろこび」ではなく「喜び」でもなく「ヨロコビ」。このつまらないこだわり(褒めている!)が楽しい。そこには額面通りではない作者の想いがある。「死」というものをどういうふうに受け止めたらいいのか。身近な大切な存在である祖父の死から始まるとまどいがここには喜びにつながるという図式のもとでお話は展開する。それを異常なことだ、として描くはずもなく、そうではなく、その祝祭として位置付ける。ラストのダンスシーンが描かれないのもいい。ダンス教室に参加した彼らが未来の孫であるインストラクターから指導を受けてストレッチをするシーンで終わるのだ。死をスタートにしてそれをウエイクアップとして捉える。そんな新鮮な芝居をまだ若い三瓶竜大が作る。なんだかこれは確かに「しあわせ」(幸せ、でいいけど)な気分だ。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 谷村志穂『セバット・ソング』 | トップ | 八束澄子『僕たちはまだ出逢... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。