![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/f1/360bd532505cdae6af3caaecf9c789d4.jpg)
なんとも言いがたい芝居だった。こんな題材を取り上げて、しかも、このテンションで、若い作家が(劇団が)1本の芝居を作ろうとする.その事実に驚かされる。作、演出の和田見慎太郎は、なぜ安楽死を扱うことを望んだのか。そこに介護の問題や、認知症の問題も絡めてみたのはなぜか。安易な企画だとは思わない。だけど、意図が見えてこない。僕は作り手の意図が知りたい。そこを手がかりにして芝居を作る(見ると)ともっと共感できる芝居になったはずだ。見ながらリアルではないのがなんとも辛い。思い切りヘビーな題材なのである。それをとても誠実に丁寧に描いた。メッセージとか提案とかそういうのではなく、ある家族の現実と向き合った。そこは買う。だが、なぜ、このお話なのかが伝わらない。彼らの抱えるドロドロしたものが描かれない。
ただ、お話自身がなんだかきれいごと過ぎて,乗り切れなかったことは事実だ。作者の視点がどこにあるのか、わかりにくい。当事者である母親なのか、介護する息子なのか。いや、どうして作者の年齢に近い孫の視点から描くとか、そういう選択肢もあった(はずなのにそうはしなかったのか)。なのに、主人公と向き合うのは息子夫婦と弟という側面だけで、当事者である安楽死を望む母親と彼らを対峙させた。みんないいひとばかりで、それはそれでいいのだけれども、なんだか嘘くさく感じてしまったのも辛い。とても真面目で、この題材に取り組む姿勢にも共感できるのだけれど、それ以上のものが伝わらない。
一人暮らしの年老いた母親の介護をする息子。彼に迷惑を掛けたくない母は安楽死を望む。同居しようという息子に、迷惑を掛けるのは嫌だ、と言う。老人ホームに入るのも嫌。わがままな女性なのだ。なのに、彼女を美化している。人はそんなに簡単には死なない。彼女の安楽死を助ける団体が描かれる。この架空の団体をもっと前面に押し出して描いてもよかったのではないか。自殺幇助すれすれのところで、それでも死を肯定するのはなぜか。いろんな問題がこのお話の背後には見え隠れする。そこに対する答えが欲しい。