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映画・演劇のレビュー

空の驛舎『変身リベンジャーとスーパーフライトマン〈改訂版〉』

2009-06-04 22:05:42 | 演劇
 8年振りの再演となるらしい。初演はアイホール。もともとあの広い空間を想定して書かれた台本をウイング・フィールドの凝縮した空間で再演するのは至難の技だろう。空港の待ち合わせロビー。そこを行き交う人たち。3組の人たち。それぞれの人間模様がこのハレの場所で描かれる。

 ジャカルタから帰ってくる夫を待つ妻と彼女の妹。その友人。彼は前述の3人の共通の友人だ。夫の親友で、妻とも高校のクラブでの友だち。そんな彼女の妹と今は付き合っている。石塚博章演じる彼がこの芝居の主人公だ。そこになんとなく飛行機を見に来た2人の女子大生。そして、カメラマンの男性が絡んでくる。彼らのそれぞれのドラマはこのパブリック・スペースで、差しさわりのない会話の中から見え隠れする。気付くと彼らの内面を深くえぐっていくことになる。 

 初演は空間の広さを生かして彼らと観客である我々との距離感を前面に押し出したものになっていたが、今回は空間の狭さを生かして、彼らの内面をしっかりクローズアップする。彼らに寄り添うこととなる。

 どうしようもないお互いの想いと、その距離を残酷に描く。分かっているくせに言葉にはしない。もし言葉にしてしまったなら、すべてが壊れてしまうからだ。しかし、自らのうちにある衝動は抑えきれない。だから妄想を見る。ありえない出来事が目の前で展開する。しかしそれは現実ではない。もう一度同じシーンが繰り返し描かれる。だが、そこでは前述のような出来事は起こらない。その時、前者は妄想で後者が現実だと考えるのが、当たり前なのだが、前者の中にこそ本当の気持ちが描かれてある。人は本当の気持ちを抑えて生きる。主人公の三浦(石塚博章)が他人の中に妄想を見る。自分のことに対する妄想ではない、というところが大事だ。それは彼が一瞬関わった見も知らない男女。カメラマンの男と彼の絵本のファンだという女子大生。偶然にここで出会いなんとなく差しさわりのない会話を交わしただけの関係だ。他人のドラマを覗き込み空想する。

 絵本作家である彼が書いた作品。老木の上で、そこにやってくる人たち、そこで起こる出来事を無言のままずっと見守る老猿を描いた言葉のない絵本。自らの想いを封印したまま生きる。それは作者である三浦の生き方でもある。しかし、彼の気持ちなんか恋人である女も、その姉であるクラスメートも知っている。知っていても誰も何も言わない。ここには、後しばらくは不在である彼の親友であり、彼女の夫でもある男を待ちながら。

 彼ら3人の話を核にして、サイドストーリーとして描かれる2つのエピソード。女子大生たちに共通の話題はここにはいない恋人。カメラマンはここにはいないキャビンアテンダントの恋人を待つ。3つの不在がこのお話の核をなす。本来ここにはいないはずのカメラマンの恋人がここに姿を現すところからドラマは大きく動いていく。彼女はまるで幽霊のように現れる。

 カメラマンは空港の管制塔で事件を起こす。だが彼の起こした行為は直接には描かれない。そのことで待っていた飛行機の到着が少し遅れることになるだけで、何も変わらない。ただ、友人が帰ってくるのを待つだけのことだ。

 ここから見も知らない外国に旅立つこともできる。しかし彼は行かない。ここにとどまり続け、当たり前の毎日を生きていく。石塚さんとカメラマンを演じる三田村啓示さんを両極に配して、抑え切れない衝動と向き合う男を静かに描いた秀作である。

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1 コメント

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ありがとうございます。 (駅長)
2009-06-14 13:08:56
素敵な劇評をありがとうございます。勇気がわきます。これからも精進してまいります。ありがとうございました。
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