この何でもない生活のスケッチにどうしてこんなにもドキドキさせられるのだろうか。同じ場所にいる(一緒に暮らしている)2人の距離が、結婚を決意した時から、なぜか遠くなっていく。ここで一緒にいて、これからもずっと2人で生きて行くのに、それがなぜこんなにも寂しいのだろうか。別に嫌いになったわけではない。断じてない。今更好きだとか、愛してるだとか、口にすることはないが、でも、お互いを一生のパートナーとして、2人で生きる覚悟をしたはずなのだ。
工藤俊作と武田暁が演じる男女の距離が彼らの会話の中から立ち上る。そこに女の妹(SUN!!)と、男の親友(亀岡寿行)が絡んでくる。たった4人の男女が織りなす静かな会話劇だ。この静かな芝居が持続する緊張感は、人と人との微妙な距離を指し示す。彼らは感情的になることはない。ずっと穏やかなまま波風は立たない。女の父の死をきっかけにして、2人の関係をはっきりさせるため、籍を入れ、結婚式をすることになった。もう若くはない2人だが、だからこそ曖昧なままにはできない、と思う。
彼らはきっと人と上手く付き合えない。一緒に暮らす2人ですら、上手く関係を作れないのだ。彼らは背中合わせで座る。ここの空気は薄いと思う。そして、立ち上がる。ちょっと空気が濃くなる。そんなはずはないのだが、そう思う。一緒にいることがこんなにも寂しい。だからこそ、一緒のいようと思う。
この危うい関係をことさら重く描くでもなく、かといって軽くはならないで、描く。簡単なことではない。芝居の後半、彼女が入院する部分はこの作品で一番大きく揺れる場面なのだが、そこを軽くかわすように見せるのも上手い。感情の起伏が激しくなる部分を避けて見せる。それは逃げではない。ドラマチックになることを上手く回避することで、芝居は一番大切な部分から逃げない。感情の高ぶりを描くことは簡単なことだ。そんなことよりも大事なことがある。
シーンシーンが流れるように描かれるとても難しい台本(杉洋介)を、甘えのない厳しさとメリハリのある演出によって、こんなにも透明感溢れる世界として作り上げた片山加菜さんは、まだ26歳のうら若い女性である。末恐ろしい逸材だ。
工藤俊作と武田暁が演じる男女の距離が彼らの会話の中から立ち上る。そこに女の妹(SUN!!)と、男の親友(亀岡寿行)が絡んでくる。たった4人の男女が織りなす静かな会話劇だ。この静かな芝居が持続する緊張感は、人と人との微妙な距離を指し示す。彼らは感情的になることはない。ずっと穏やかなまま波風は立たない。女の父の死をきっかけにして、2人の関係をはっきりさせるため、籍を入れ、結婚式をすることになった。もう若くはない2人だが、だからこそ曖昧なままにはできない、と思う。
彼らはきっと人と上手く付き合えない。一緒に暮らす2人ですら、上手く関係を作れないのだ。彼らは背中合わせで座る。ここの空気は薄いと思う。そして、立ち上がる。ちょっと空気が濃くなる。そんなはずはないのだが、そう思う。一緒にいることがこんなにも寂しい。だからこそ、一緒のいようと思う。
この危うい関係をことさら重く描くでもなく、かといって軽くはならないで、描く。簡単なことではない。芝居の後半、彼女が入院する部分はこの作品で一番大きく揺れる場面なのだが、そこを軽くかわすように見せるのも上手い。感情の起伏が激しくなる部分を避けて見せる。それは逃げではない。ドラマチックになることを上手く回避することで、芝居は一番大切な部分から逃げない。感情の高ぶりを描くことは簡単なことだ。そんなことよりも大事なことがある。
シーンシーンが流れるように描かれるとても難しい台本(杉洋介)を、甘えのない厳しさとメリハリのある演出によって、こんなにも透明感溢れる世界として作り上げた片山加菜さんは、まだ26歳のうら若い女性である。末恐ろしい逸材だ。