習慣HIROSE

映画・演劇のレビュー

妄想プロデュース『その男、名をジャコビニ』

2010-04-04 10:02:05 | 演劇
 09年4月からスタートして丸1年かけて上演してきた『走り屋3部作』の完結編である。当日パンフにあったこれまでのあらすじを開演までの時間に読んでみた。なんと、これではまるでストーリーがわからない。愕然とする。今回初めてではない。ちゃんと前2作を見てるのに、である。妄想Pのマニアである僕ですらよくわからないあらすじを用意された初心者はどうなるのだろうか、なんていらぬ心配をしているうちに芝居はようやく始まった。

 冗談(ではないが)はさておく。期待の第3部である。池川くんの渾身の1作と、心して向き合う。先の話に戻るが、話のわからなさというのはアングラ演劇の定番だ。正直言うとストーリーなんてどうでもいい。この70何代チックなアングラ芝居は、ストーリーを理解したからおもしろくなるというものではない。作り手の勢いに乗っかって気分で見ればいい。よくわからないけれど、凄そうだ、という気分が大事なのである。わかる必要なんかまるでないから、大丈夫だ。

 さて、今回の完結編だが、予想通りだ。この手の話は、まとめ始めたらとたんにつまらなくなる。今回もその轍を踏むこととなる。『スターウォーズ』の時代から3部作は2本目が一番面白くて、3本目が一番つまらないというのがパターンなのである。

 とはいえ、この第3作の描こうとしたことはとても興味深いし、この1年間のまとめとして池川くんが到達したところは、彼の中でのひとつの確かな決着とはなっているのがいい。自分に酔いしれて熱くなるのもいい。アングラテイストではなく、アングラそのものとして、この超アナクロ芝居を走り抜けて行こうとする、その姿勢は素晴らしい。今時、どこの誰もがこんな芝居を作ろうともしない。みんなは、小ぎれいで、軽やかで、笑いがあって、楽しいだけの芝居を目指す(まぁ、目指してるだけでほとんどは出来てないが)時代にあって、熱苦しくて、うるさくて、古臭いアナログ芝居に邁進する。

 母親の胎内に宿るところから始まり、世界に誕生するところまでで終わる前2作を受けた本作は、『現代孤児之歌』と同じように家族の物語となる。父と母、妹というどこにでもあるような4人家族の一員となった主人公が、おきまりの「ひきこもり」をしている。ネットで世界とつながっているから、4畳半の自分の部屋から一歩も出なくても生きていける。

 ネット上のRPGの世界で、姫を助けて勇者として大冒険をする、という今時ありえないような古臭い設定のストーリーが展開していくことになる。彼をこの現実世界に導いたピエロはネットにうつつをぬかす彼から取り残されていく。

 母の胎内から生まれ、もう一度母のもとへと還っていくまでの6時間に及ぶ妄想のドラマが円環を作って繰り返して行くのがいい。このループ状の芝居は寺山修司のような母恋ものなのだが、圧倒的な影響力をもった母の存在がこの第3部では完全に薄れてゆく。人間世界に出てきた彼がひきこもりになるという設定と、これまでの主人公であったエビスが主人公ではなくなるという意表を突いた展開はおもしろい。

 とはいえ、走り続けるエビスと、とどまり続ける主人公の男、という対比から、もっともっと遠くに僕たちを連れて行ってくれたならこの芝居は凄い作品になったのにと思うと、いささか残念だ。池川くんの創造力の彼方にまで、我々観客を引きずっていって欲しかった。誰も見たこともない世界の真実がそこにはきっとあるはずなのだから。

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