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映画・演劇のレビュー

空晴『きのうのつづき』

2007-10-21 10:57:07 | 演劇
 元ランニング・シアター・ダッシュの岡部尚子さんを中心にして結成された劇団の旗揚げ公演。さすがにとてもよく入っていて凄い。芝居自身はあまりに単純すぎて、僕は、ちょっとひいてしまったが、ダッシュのファンの人たちはとても暖かくこの作品を受け入れているんだなぁ、と思うと、なんだかそういうコミュニティーって決して悪くない、と思った。終わりのほうでは、泣いている人もたくさんいて、そんな心優しいファンに恵まれて岡部さんたちはとても幸福な再スタートを切れたのではないか。

 僕は、嫌われるかもしれないが、少しイジワルな観客として、正直な感想を書かせてもらう。

 こういうハート・ウォーミング自体は悪くないが、描き方があまりに甘すぎる。もう少し、兄(上瀧昇一郎)と弟(平本光司)の確執をしっかり描いて欲しい。彼らが今現在どういう関係にあり、それがどこから始まったのかをしっかり説明せよ、なんて言ってるのではない。反対にそれは最初は描かないほうが、緊張感がありいいくらいだ。姉の突然の死が彼らの関係をぎくしゃくしたものにしたことは分かる。しかし、それがどういう経過をたどり、どう拗れたのかが、中途半端すぎる。姉の死に対する悲しみ方の相違が2人を遠ざけ、その傷口は今も塞がらないままだ。不在の姉を、ずっと椅子に座らせたまま芝居を進めるという見せ方は悪くない。だが、それだけでは姉役の川下ともこさんが可哀想ではないか。時々弟と話したり、母の電話での声でしかないのでは、彼女が舞台に居続ける意味はない。不要である。彼女がそこにいる、ということこそがこの芝居のテーマを体現しているのならばもう少し見せ方を考えたほうがいい。

 今、ここにはいない姉と、ここで気まずい再会をした兄と弟。この3人がかっての仲のいい3人に戻っていく過程を描く、というお話自体は決して悪くないのだから、不在のはずの姉がここにいて、2人を見守り続けているという事実をもう少しうまく描いて欲しかった。その時、この3人に何があったのかという事実を描く部分は、避けて通れないだろう。

 だいたい母の入院が一体何なのかも描ききれてない。それってただのきっかけでしかないのか。姉と母を重ねて描くのならば、姉の死に母の死の予感を重ねるくらいの仕掛けは欲しい。1ヶ月の検査入院という不穏な出来事を、それだけで置き去りにしてしまうのはあまりに杜撰すぎる。

 全く料理が出来ない兄弟ということで、笑いをとるのはいいが、2人が間抜けすぎて僕は笑えなかった。(でも、観客は凄く受けていた!驚く。)

 リフォームによって何もなくなったキッチンを、セットもなく、大黒だけで見せるというのもこの芝居にとっては安直過ぎた。「何もない」ということを表現する場合は反対にしっかり舞台美術を作りこんだほうが面白いはずだ。ダッシュの頃は何もない舞台に照明と音響で見せるという方法で成立したのだろうが、いつまでもそんなやり方に拘る必要はない。題材によっては美術の力も借りたほうが適切な場合もある。

 全体的に作り方があまりに甘すぎて、優しい作品だと思うが、残念な仕上がりだった。ファン以外の人にも見てもらうのならば、もう少し詰めをきちんとすべきである。

 PS  厳しいことを書いてごめんなさい。岡部さんの暖かい世界が好きだから、敢えてこんなことも書いてみた。

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