雛人形の職人を主人公にしたお仕事小説だ。高齢化が進む中、若い社長が社員たちを束ねて業界の再生を目指すドラマ、ということにしてもいいのだけど、少し違う。実は「お仕事小説」なんていう軽さとも違う。でも、職人の匠の技を描くとかいうのでもない。では、何なのかというと、これはひとりの青年の生きざまを描く小説なのである。たぶん。
37歳の若者が160年続く老舗の8代目若社長として店の存続をかけて戦う姿を描くのだが、彼が無口な職人として研鑽を積み、なんとか店を切り盛りしているところから始まる。自分なんかより年上の職人たちを束ねる。彼らはもう70代、80代だ。若い職人はいない。だからこの先、未来はない。そんな中で、彼は黙々と自分の責務を果たす。結婚もせず、仕事に精を出す。父親の急死で、20代の若さで社長になり、当然引き継ぎなんかなく、何もわからない状態で業務を必死でこなしていくだけで、今に至った。周囲の人たちに優しく、みんなから慕われている。でも、いろんなことをあきらめている気がする。自分を犠牲にしてみんなのために頑張る。だけど、このまま老いていくだけなのか、という思いもある(はず)。同級生が離婚して帰ってくる。周囲の人たちはふたりを結び付けようとする。ふたりともお互いに好き同士だ。と、こう書くとよくあるパターンになる。だけど、ここでもこの小説はそんなパターンを気持ちよく裏切る。恋愛小説としての側面を深追いしない。彼は仕事の合間に、5年前から母校の競艇部のコーチを引き受けている。指導者がいないから、頼まれて引き受けた。高校時代インターハイに出場し、オリンピックにも手が届く実力者だった。だけど、家業を継ぐために断念した。と、この決断だって実はそれほど単純ではない。
簡単に流れていきそうな定番で表面的なストーリーをスルリと裏切っていく。彼は自分の夢を家のために我慢しているのではない。自分でもどうしたかったのか、よくわからないのだ。だから流されていっただけなのかもしれない。気がいいからなんでも引き受けてしまい、なんとかちゃんとそれをこなしてしまうから、みんなから重宝がられる。近年は鳴かず飛ばずで部員も少なくなっていたクラブが、再び強くなるのも彼がコーチをしてからだ。でも、それは彼は自分の力ではないとわかっている。優秀な選手がいてメンバーを引っ張ったからだ、と思う。いろんな意味で謙虚。
お話はある種の定番を踏む。だけど、それがこんなにも新鮮なのは、リアルな描写ゆえだ。個々の登場人物のエピソードに説得力があるから自然とお話に引き込まれていく。人形師の仕事についての描写もそうだ。きちんと魅力的に描かれてあるから、そこでも興味を引く。山本幸久の小説はいつもこんな感じではずれがない。でも今回は今まで以上によくできているし、完成度も高い。